伝統的な三位一体論を信奉する言説においては、イエス・キリストと大天使ミカエルとの存在論的一致を拒絶する傾向が極めて強く、ドグマへの強迫観念とも言える硬直した主張が繰り返される。しかし、イエスとミカエルを本質的に別個の実体として分断するこの三位一体論の構造こそが、皮肉にもユダヤ教の排他的な存続基盤を神学的に補強する結果をもたらしている。
イスラエル人の守護天使ミカエル
民族的ユダヤ人におけるダニエル書のテクスト解釈において、同書に記述される「君主ミカエル」は、伝統的に彼ら固有の守護者として位置づけられてきた。神の主権のもとでミカエルがイスラエルのために軍事的に介入するという信仰は、現代の地政学的紛争における武力行使を神学的に正当化する論拠として機能し得る。
他方、米国のキリスト教界におけるディスペンセーション主義者の多くは、自身が直接的な戦闘行為に従事して流血の罪を犯すことを回避しつつも、イスラエルの君主ミカエルを通じて神の義が執行されるという解釈を強く支持する。これは、自らは安全な立場を維持しながらも、中東における武力紛争やそれに伴う他宗教徒への排除を構造的に是認する神学的構造へと繋がっている。
血統的・歴史的な連続性に議論の余地がある現代のシオニスト勢力もまた、自己を旧約聖書のイスラエルの正当な後継者と擬制する。彼らはミカエルとメシア(イエス)の同一性を拒絶するため、旧約の「聖絶」の概念を現代の軍事行使に適用し、キリスト教の「新しい契約」が提示する倫理的教えを退ける。これこそが三位一体論が内包する構造的弊害の一側面であり、キリストの先存的な実体がミカエルであるという存在論的同一性が認知されないがゆえに、ユダヤ教的ナショナリズムの超克や、新約の福音への転換が阻害される要因となっている。
聖絶の本来の意図とイスラム教徒にイエスが夢で出現
旧約聖書における「聖絶(ヘーレム)」の本来の神学的意図は、現代の世俗国家による無差別な軍事虐殺とは本質的に異なる。モーセやヨシュアの時代に刑の執行対象となったのは、児童犠牲を伴う極端な宗教的退廃に陥ったカナンの先住集団であり、考古学的見地からもその倫理的崩壊の深刻さが指摘されている。この文脈における直接的な裁きとしての死は、罪業の蓄積を遮断し、魂を現世の不幸から安息の眠りへと移行させる暫定的な処置という側面を有していた。
翻って、現代のパレスチナ・ガザ地区を巡る紛争は、神の聖なる介入とは到底みなし得ない。これはシオニズムの政治的帰結、あるいは広範な文明破壊と宗教憎悪の煽動を意図した地政学的策略の産物であり、犠牲となる一般のイスラム教徒住民は構造的な被害者である。したがって、これを旧約の聖絶と同列に論じることは神学的に不当である。
その左証として、過酷な環境に置かれたパレスチナ自治区のイスラム教徒の間で、同一の夜にキリストを幻視するという超自然的な現象が報告されている。以下にその報告を引用する。
ハイメール通信No.820 2023.11.29------------------------------
ガザで起きている主の奇跡の救い
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戦時下のガザで、救いの奇跡が起こっています。迫害があり宣教師が簡単には入れないイランやアフガニスタンなどの地域で同様の奇跡をよく耳にしますが、神が直接人々に働き掛け、たましいを救っておられます。
アメリカの大学教授で、キリストの死と復活を歴史的事実として弁証する活動でも知られるマイケル・リコナ氏の元に11月初め、パレスチナ自治区の地下で活動する宣教団体から、ガザ地区で起きた驚くべき奇跡の報告が届きました。
「この2日間、私たちは、家や家族を失って避難してきた住民数百人を安全な場所で世話し、聖書を読み聞かせ、キリストにある平和の道を分かち合いました。すると、彼らのうち200人以上が、同じ夜に夢でキリストに出会ったのです! 彼らは、神のことばをもっと学びたい、イエスに従うにはどうしたらいいかと言っています」
ガザの人々はハマスの支配下で、イスラエルに対する憎悪を植え付けられ、子どもたちはテロ教育を受けて育ちました。また世界各国からの支援はハマスに搾取され、体制に反対の声を上げることも許されず、住民の多くは貧困にあえぐ生活を送っていました。そして戦禍に巻き込まれ、まさに絶望的な状態に陥っている彼らの中に、主ご自身が現れてくださったことは、私たちの祈りの応えでもあります。主をほめたたえ、心から感謝しましょう!
一方、ガザ地区のクリスチャンの保護は急務です。イスラム教徒ではない彼らは、戦時下の混乱の中で、ハマスやイスラム聖戦などのテロ組織による虐殺の脅威にさらされています。このため、イスラエル側が北部住民に南部へ退避するよう勧告した際も、外へ出ることを恐れてガザ市内の3つの教会に立てこもり続けていました。彼らが直面している危機についてはイスラエル政府も認識しており、彼らの保護や将来を最重要事項の一つとして政府内で議論しています。
ガザで、主が大いなる救いの御業を行い続けてくださるように、またガザのクリスチャンたちが迫害から守られるようにお祈りください。
「曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」(ルカ1:78〜79)
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ハイナイト部
極限状態に置かれたイスラム教徒の夢に、イスラエルの君主とされるミカエル(キリスト先存体)がイエスの姿で現出したという現象は、神の救済が民族や宗派の境界線を越え、個人の内面的な善性に対して機能することを示唆している。しかし、現代のシオニスト派はミカエルの存在を認めつつも、それがキリストの本質であるという同一性を見出せないため、未だ未来のメシア待望論に終始し、領域内の異教徒(たとえ「良きサマリア人」に類する倫理的なイスラム教徒であっても)に対する軍事制裁を、神の正義の名のもとに盲信する帰結を招いている。
無論、イスラム教の教義構造や現代の移民問題が生む課題は深刻である。終末論的ゲマトリアの文脈において、暴力性を本質とする過激派勢力は「獣の刻印」の具現化とみなされ、最終的な審判(ゲヘナにおける第二の死)の対象となる。しかし同時に、シオニスト勢力の全ての行動を絶対的正義としてカテゴリー化することも神学的に不可能である。
大バビロンと擬される米国教界の信徒たちは、イスラエル国家を無条件に支援すれば、大患難の前に自らは携挙されるという終末論的免責を信奉している。結果として、彼らは他者の流血を伴う紛争に倫理的痛痒を感じることなく、むしろそれを第三神殿の再建や新世界秩序(NWO)へ至る預言の成就として無批判に支持する構造に組み込まれている。
仮に伝統的な三位一体論の矛盾を排し、ユダヤ教徒が自らの君主ミカエルの実体がイエス・キリストであるという存在論的同一性に目覚めていたならば、新約の福音を受け入れ、武力的対立を選択することは無かったと考えられる。かつて三位一体論の擁護者であったカルヴァンが、同教理を否定したミシェル・セルヴェを処刑した歴史が象徴するように、この教条は人々の視野を狭める強力なドグマとして機能してきた。すなわち、伝統的キリスト教とユダヤ教の君主の本質が同一であることを遮蔽し、両陣営を神学的に対立構造へと誘導するために導入された概念であるという解釈が可能である。


「自分は安全地帯から攻撃せずイスラエル人たちがイスラム教徒を殺戮することを善しとしている」
返信削除本当にそうですよね。
「イスラエル人たちもそもそも血統的に聖書のイスラエル人ではないものの自分たちが旧約聖書のイスラエルと思い込んでいるのかミカエルはイエスなるメシアではないと認識しているゆえに武力行使をして勝手な聖絶をして新しい契約(新約聖書の教え)を拒絶しています。これが三位一体の弊害であり、ミカエルが新約のイエスの元来の名前で正体が同じことを認識できない故にユダヤ教徒イスラエル人が中々クリスチャンに改宗し戦争行為を辞めることができない理由になっています。」
→このあたりをもう少し噛み砕いて頂けると嬉しいです。
「地上での生活を死によって終えるとそれは罪悪が消え去り不幸な魂が安楽の眠りに入ることができます。」
→罪悪が消え去るのは聖絶によって、カナン人が悪さができなくなったという意味ですか?
カナン人は罪を犯している分は最後は神によって裁かれますか?
不幸な魂とは犠牲者の子供のことでしょうか?
イスラム教徒の方の夢にキリストが現れたのですね。
しかも同じタイミングで!
夢って不思議です。
脳を休めるためだけではないですね。
「夢」でふと思ったのですが、数ヶ月先〜一年以内に起こることを教えてくれるのはなぜなんでしょう?
返信削除私には他の人が見るような、明らかにキリスト教の患難関連の大きな事については何も触れられないです。
近い未来など主に悩みを抜け出すヒントなどです。
これは既に個人的には患難の渦中にいるからでしょうか?
噛み砕いて教えて頂きありがとうございます。
返信削除不平等な世の中ですが、カナン人は遺伝的な不完全さは取り除かれた状態でキリストを学ぶということは、平等な状態にリセットされるのですね。
なぜ、一般教会やエホバの人達がイエスがミカエルだということに辿り着けないかを考えると罪深いからという結論に至りました。
「天にあるもののひな型が地上の肉体」で「天にあるのが本体」と認識してます。
「鏡におぼろに映ったものを見ている」のは肉体の時。
「顔と顔とを合わせて見ることになる」のは天にある本体になった時。
昔の聖人レベルでも罪を犯さない人はいない。
「すべての罪は告白され、捨てられなければなりません」
→人は臭いものに蓋をして終わらせるけど、罪は存在したままなので、罪と向き合うために意識下に置いて解消する必要がある。
Junさんは罪と真剣に向き合って罪から解放された。
その証拠に濁った水槽の水を捨てる夢でその罪からの解放を告げられた。
天にあるJunさんの本体との回線の一部が繋がる。
(ギフテッドだからこの天との回線が繋がるのが速いのも一つの原因だとも思います)
その結果、神様の名前がヤフワだということ、ミカエルがイエスだということがわかった。
聖書でも確認すると矛盾がなかった。
一般教会やエホバの人達は罪の告白をして捨てるプロセスを真摯に行なっておらず、自己正当化ばかりしているので真実に辿り着けず、神様からも何も明かされないのだと思います。
ちょっと教えて欲しいのですが、エロヒムってヘブライ語でヘブライ語のエール(神)の複数形らしいのですが、三位一体の根拠とはならないですかね?
返信削除ありがとうございます。
返信削除複数形にして尊厳を強調している感じなのですね。
最初は三位一体で聖霊が人格があるようにイメージしてましたが、実際に人格があるのはヤハウェとイエスのみですが、そうなると聖霊の立ち位置がイマイチよく理解できてなりました。
聖霊は何かのエネルギー的な感じでしょうか?
聖霊は神の生霊みたいなもので、それは神がプログラムした通りに作用する神の化身です。イエスが洗礼を受けた際に聖霊が鳩のように降りイエスはキリスト(聖霊を受けた油注がれた者)となりました。
返信削除人格を有するかのように書かれてるのは聖霊が神の思いを宿した生霊で、神は元々全能なので全てを把握しているため聖霊に歯向かったりすると神はそれを見て悲しむからでしょう。それで聖霊を悲しませないように、つまり神を悲しませないようにと表現されているのです。聖霊を受け宿し続けると人は神やイエスと同じ考え方清さを維持できるようになります。また時に罪を宿す人々が過ちを犯すと神からプログラムされた聖霊は全世界中のクリスチャン達を正しい方向へ教え諭すように作用します。
神の生霊、分身なので世界中のクリスチャンが背教していくと聖霊を受けて善悪を弁えることができる状態なのに敢えて逆らうことで遠くにいる神とイエスはそれをすべて把握しているので、同じような痛みを感じるため、黙示録では「主が磔にされた大バビロン」と表現されています。それで聖霊を宿したクリスチャンが殉教すると、聖霊を通して神とイエスが把握認識しているので、パウロにもなぜ迫害するのかと自分がされたのと同様な返答をしています。
一般の教会が言うような聖霊は神やイエスと全く別の魂とは異なり、寧ろ神そのものです。神がコマンド(指示、プログラム)した通りに一人でに時に作用するかもしれませんが、神のルール通り迄かと思います。それで時に背教したクリスチャンがいても辛抱強く忍耐しとどまり続けて忠告したりしてくれます。世界中のクリスチャンには全員聖霊が宿っていますが、そのプログラムコマンドされた聖霊に対してどう反応するかは自由意志を持つ人間側次第です。
ありがとうございます。
返信削除クリスチャンを正しい方向に導くのですね。
クリスチャンじゃないイスラム教徒の人が突然クリスチャンになったりしている話を聞きましたが、これは聖霊がクリスチャン以外の者も神の思惑の方向に行くように導く役割をしてもいるってことですかね?
そうですね。親切なサマリヤ人の話でもアッシリア混血人の憐れみ深い人をイエスは褒めてますしイスラム教徒の中の憐れみ深い人達や戦争で辛い状況の人達に希望を与えるよう聖霊が働きかけることはあるかとは思います。でもこれはイエスが直接出現してるのでイエスの働きですね。
返信削除聖霊は神の化身で世界中のクリスチャンと協働してるので量産型ですね。聖霊によって人は正しく聖書から導かれます。聖霊抜きにしては多分聖書解釈は不可能と言えるのかもしれません。
ノンクリスチャンを導くのはイエスの働きなのですね。
返信削除聖霊はクリスチャンに働きかけるのですね。