少し前にTwitterXにて日本人のディスペンセーション主義盲信者とやり取りすることがあったので覚書にしておきたいと思います。ダニエル書が示す六十九週という期間や、エレミヤ書が告げた七十年の預言をめぐる定義についてです。
ワテが支持しているのは、イエスの宣教開始とされる西暦二十八年秋をゴールに逆算し、クロス王の神殿再建命令、そしてその先にあるバビロンによるユダ侵攻のリアルなタイムラインを見出す立場です。➡まずキリスト再臨が二千年後と暗示する予言は聖句中に多々あるので、神は人類にキリスト初臨の時期を考古学的な知見で明らかにしておられると見越してもいます。
しかし、このアプローチをとると必ずと言っていいほど、既存の学者たちやその取り巻き信者から強力なカウンターが飛んできます。その代表的な攻撃の構図と、それに対するカウンターの核心を整理しておきたいと思います。
伝統的な聖書註解者やディスペンセーション主義者たちは、聖書の提示する一直線のタイムラインに対して、エレミヤ25章の七十年は単に周辺諸国がバビロンに仕えた期間であってエルサレム自体の荒廃期間ではない、あるいはゼカリヤ7章を見れば人々がエルサレム陥落を嘆いて七十年間にわたって断食をしてきたのは紀元前五百十八年のことだからそこから逆算すべきだ、といった批判を展開してきます。
彼らはこのように七十年という数字をいくつもの種類に解体し、都合の良いパズルのピースのように切り分けて使おうとします。
だが、ここに大きな欺瞞があります。エレミヤ25章の七十年断食は未来を預言しており、ゼカリヤ書7章のそれは、過去に起きた悲劇の記憶を民がこれまで代々名残として悼み続けてきたという過去の回想にすぎません。聖書テキストを自然に読むと七十年はユダの土地が荒廃となる期間であり、それの別の言い回しでバビロンに民が仕えると表現されているだけです。
なぜアンチはこれほどまでに、歴史の起点を細切れにし、帳尻を合わせようとするのでしょうか。その根本原因は、彼らが依存している世俗の歴史年表そのものにあります。
古代エジプトの占星術師であり天文学者であったプトレマイオスが遺した王名表を、近代以降の歴史学者や聖書学者たちは何の疑いもなく無謬の真理として絶対視してきました。しかし、専門的な研究が指摘しているように、このプトレマイオスのカノンをベースに古代オリエントの歴史を組み立てようとすること自体が、歴史的および天文学的な矛盾の元凶です。
現代の学者たちは、聖書の預言的数字の整合性を真っ直ぐに受け取るのではなく、この歪んだ世俗年表の枠組みに聖書の数値を無理やりアジャストさせようとします。だからこそ、辻褄を合わせるためにエルサレム荒廃の七十年と諸国の従属の七年を分裂させ、複雑怪奇なパズルを組み立てざるを得なくなるわけです。
聖書が導き出すタイムライン、すなわち西暦二十八年秋から四百八十三年を逆算してクロス王の神殿再建命令を捉え、さらにその根底にあるバビロン侵攻のリアルタイムを捉える視点は、現代の考古学の定説とは真っ向から相容れません。
だが、それは聖書の計算が間違っているからではありません。私たちが依拠すべき基準は、世俗の占星術師が作った歪んだ歴史年表ではなく、聖書のテクストが示す一貫した預言のダイナミズムであるべきだという転回に立つからです。
ちなみに七十人訳聖書ではアダムからキリストまで四千年にならないからプトレマイオスの主張が正解と飛躍した結論を提示してくる方もいますけど、七十人訳聖書であってもアルタクセルクセスではなくクロス王の再建命令から483年をカウントする文脈の流れは変わりません。
ダニエルがエレミヤの書から読み解いた七十年とは、バビロン帝国の台頭とユダの荒廃から、クロス王による歴史的な解放と神殿再建に至るまでの、壮大な一つの神のサイクルであったはずです。
聖書には人類歴史六千年計画が暗示されていますので、それよりも認識ミスが生じ得る現行の世俗的歴史学を優先する必要はないでしょう。


0 件のコメント:
コメントを投稿