ダニエル12章の荒す憎べきものが1290、1335日の三時半(七つの時)支配するか

2024/03/23

ハルマゲドン

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終末の時期を測定するためにダニエル書には1290日、1335日とか七つの時というキーワードが散りばめられています。また預言は幾世代にも渡って重複して成就していくわけですが、可能な範囲で辻褄の合う理解に至るための解釈を覚え書きとして書いておきたいと思います。

ダニエル4:13 その心は変わって、人の心を失い獣の心が与えられる。こうして、七つの時が過ぎるであろう。

12:7 すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。」11日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。 12待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。

ルカ21:24 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

西暦70年に成就したか

AD66年、ユダヤ人の反乱が手に負えなくなり、反乱を鎮圧するためにローマ軍がユダヤに派遣された。ユダヤ北部で何度か戦闘が行われた後、彼らはユダヤ人反乱軍を南へ追い、エルサレム内に立てこもった。ローマ軍はエルサレムを包囲し、交渉が試みられたが失敗に終わった。その後、ローマの将軍セスティウスとその軍隊は、理由もわからず不思議に去っていった。この時、イエスの「逃げろ」という言葉を思い出した信者たちは、町を出てペラの山中に集まった。

セスティウスが退却するのを見たユダヤの反乱軍は、勢いづき、ローマ軍を追撃し、多くの兵士を殺害した。このことが後にローマ帝国の怒りを買うことになり、ローマ帝国は数ヵ月後、ティトゥス将軍率いるはるかに大規模な軍隊を率いてやってきて、1290日が始まった。

ユダヤ人たちがローマ軍を忌むべきものと呼んだのは、ユダヤ人たちがローマ軍を鷲の記章や異教の神々への生贄を捧げる不潔な偶像崇拝者と見ていたからだ。そのため、彼らはエルサレムを荒廃させる忌むべきもの、すなわち荒廃の忌むべきものと呼ばれたのである。

このティトスの二度目の包囲からエルサレムを包囲した軍隊は、1290日を開始し、再びユダヤ人は町の中にバリケードを築いた。ユダヤ軍とローマ軍の間には、長い攻防、作戦、戦闘があった。ローマの戦略は、エルサレムに立てこもったユダヤ人たちが、内紛、自殺、飢餓、病気などで時間とともに弱り、彼らをつついて消耗させ、弱らせることだった。

ティトスがエルサレムの城壁を破り、最後の砦を占領したとき、毎日のいけにえが止まり、1290日が過ぎた。城壁が破られると、45日間、戦いとエルサレムの完全な殺戮と破壊、神殿の解体が行われた。1335日目には、それは終わった。

フィリップ・マウロは、『七十週と大艱難』(1923年)の中で次のように述べている。これと対応して、毎日のいけにえが破綻してから一ヶ月半後、包囲された最後の砦であった上方の町を、ティトスが突然、予期せぬ形で占領したことによって、包囲が終結したという事実が記録されている。この最後の行動は、ヨセフスによれば、ヘブライのエルルの月の7日に行われた......したがって、毎日のいけにえが失われてからの包囲の継続期間は、およそ1ヶ月半であった。

1335日目まで待つ者は祝福されると書いてある。ペラに逃げ延びた信者たちは、エルサレムと神殿、そして町の中の人々が完全に破壊されたという報告を聞いたからだ。

歴史によれば、セスティウスとの最初のエルサレム包囲戦はAD66年11月に始まった。セスティウスの報告を受けて、ティトスはエルサレムを占領するためには、打ち出の小槌やその他の武器を備えた、より強力な軍隊を準備しなければならないことを知った。ユダヤ人は簡単には倒れなかった。その計画は、彼らが到着してエルサレムを包囲し、西暦67年2月17日に1290日を開始するまで、数ヶ月の準備期間を要した。ヨセフスは、エルル7日(AD70)にエルサレムの最後の砦を占領したと記録している。その45日後の1335日目は、我々の暦では10月13日に相当する。この驚くべき現象は、10月13日がティシュレイ22日でもあり、最後の大いなる日、神の聖なる暦の終わりとして知られる日であったということだ。言い換えれば、神はエルサレム、神殿、ユダヤ教の祭司職、トラーの時代を、「最後の大いなる日」と呼ばれる、神の聖なる暦の終わりであるティシュレイ22日に物理的に終わらせることを計画していたのだ。なんと驚くべきことだろう。神の聖なる暦の "最後の偉大な日 "と呼ばれる日に、このすべてを確認するとは。これは、AD70年の神の聖なる暦の終わりのまさにその日に成就した、荒廃の忌むべきものに対する確認なのだ。

ダニエル12章の預言は西暦66年から70年の間に既に成就しており未来において無理に当てはめる必要はないとこの筆者は考えているようです。しかし一応未来においてまで長期間、一日に対して一年を当てはめる預言解釈も可能ではあるので以下に要約しておきます。上記はこちらを引用

1290年に45年足して考慮する場合

民数記14章34節とエゼキエル4章6節には、「一年に対して一日」という記述があります。1335年が1290年の45年後に生じる計算で考えると、岩のドーム(ハラムシャリーフ、世界三大宗教キリスト教ユダヤ教イスラム教の聖地が混在した神殿の丘)が建築された西暦692-693年から1290年を足して1982-1983年辺りが算出されます。この時期はレバノン侵攻があったタイミングです。この戦いのおかげで益々イスラム教徒、キリスト教徒過激派、ユダヤ教徒たちの仲たがいが生じそこから未来へ向けて永遠に平和な友好が築けない修復不可能な対立関係に陥ることになります。

思い返したいことは世界はシオニストによりシオニズムへ向けてそこに全世界中の国家、特にキリスト教ユダヤ教イスラム教を巻き込む思惑があるという政治的策略により運営されている事実です。しかも西暦700年辺りはハザール系がユダヤ教へ改宗し、岩のドームが建築された時期からまるで計算されていたかのようにイスラム教徒とユダヤ教とキリスト教徒の過激な対立を煽る方向へ突き進みます。

荒す憎むべきものとは、まさにイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒全てが霊的に退廃する原因となるものと考えられます。霊的な見地で考えれば、イスラム教徒にとってもこの聖地が建築される故に間違った信仰心が生じ、尚且つ邪悪なハザール系ユダヤ人たちの闘争心や殺意も生じ、それを8割型のディスペンセーション主義キリスト教福音派たちも支持する流れに取り込まれているわけですから、神の民が本来の聖地で殺戮し合い霊的に退廃する荒す憎むべき偶像となっています。

ですから岩のドーム建築後の1290年後の1982-1983年に生じたレバノン侵攻によって、イスラエル地方は完全な破滅と全ての宗教を廃し統合すべきとするNWO樹立へ向かうことに定められてしまいます。つまり岩のドームが建築されてから1290年後にもはや破滅へ向かう運命に定められ霊的に退廃してしまいました。➡しかしそれ以降でも神の聖霊は一世紀のイエスを磔にしたユダヤ人たちの子孫と異なり知らずにアッラーを崇拝する心の清いイスラム教徒へ働きかけます。45年後の2028年辺りに再臨があれば、この世界三大宗派とされるユダヤ教キリスト教イスラム教の争いの原因となっている岩のドーム完成を機に世界三大宗教の共通の聖地となったハラムシャリーフ神殿の丘が取り除かれ遂に世界に平和が訪れることになります。

双方を合計して七つの時とする場合

ダニエル12章の三時半はいつからカウントすべきかについては意見が分かれますが、西暦前597に一回目のバビロン捕囚が生じ、イスラエルの日常生活は廃されました。11節では「供え物」とありますが、これは意訳のために加筆されたキーワードです。とはいえ、バビロン捕囚を食らったわけなので、供え物が廃されたと訳すことに問題は感じませんが、今回はバビロン捕囚により日常が奪われたと解釈します。

そして、この西暦前597年から1290日を足すとイスラム教ユダヤ教キリスト教の聖地岩のドーム神殿の丘が建設完成した年になります。そこから1335日を足すと見事に2027-2028年が算出されることになります。

ダニエル4章ではバビロン王のネブカドネザルが獣の心を与えられ七つの時が過ぎ去るまでその状態になると預言されました。そしてイエスがルカ21章24節にてエルサレムが異邦人の時代が終了するまで踏み荒らされると述べています。ダニエル書では三時半は1290日と1335日の二パターンに分かれていますが、最初の荒す憎むべきものがバビロンの捕囚、そしてそこからも背教が後代に渡って常に継続し遂にイスラム教の聖地岩のドームが二番目の荒す憎むべきものとしてシオニストとイスラム教徒の対立を煽り世界中を巻き込む第三次世界大戦、民族戦争の原因引き金となっています。

これは一つ目の荒す憎むべきものとなるバビロン捕囚から上記の1290日と1335日をそれぞれ三時半として足して七つの時と認識することも可能です。ですからダニエル書における七つの時がバビロン捕囚の時から経過すると西暦2028年辺りに算出されることになり、イエスが述べたようにエルサレムはその期間異邦人に再臨のある時期まで蹂躙されることになります。

まとめ

荒す憎むべきものを西暦70年の時のみの実体で既に成就しているために未来に当てはめる必要がないという人は意外と多くいます。ところが聖書は歴史が繰り返す法則性を書き記してもいるので、見方を変えれば終わりの時期を未来においても算出することが可能ではないかと推測もされています。

預言は重複し過去においても未来においても何度も形を変えて成就していくからです。皆さんも色々調べて考察なさってください。

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