ものみの塔研究記事の言葉の表現におけるサブリミナル

2023/01/07

エホバの証人

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エホバの証人はものみの塔研究と称される協会側が提供する記事を熱心に読んでいます。そして週二回の集会にてその記事から質疑応答することが推奨され、異なる見解は歓迎されないようになっています。一方的な思想の押しつけの裏の意図は、ものみの塔研究記事の言葉の表現やチョイスに顕れています。も塔は上記画像のように家族間であっても組織ルールを破れば無視するべきと教え込みます。

恐怖政治を強いるための洗脳ワード

まずものみの塔研究記事を開くと、「エホバの裁きを忠節に支持する」とか「甚だしい性の不道徳」とか「罪の重大さ」等のjw特有ワードの多さと異様さに違和感を感じられることでしょう。なぜこんなに執拗で陰湿な言葉のチョイスや表現を好むのかと言うと、恐れによって内部統制と相互監視体制を強化したいからです。組織の教理に疑問を抱くと大抵のjwは聖書の道徳基準から逸脱した生活をしますが、いわゆる模範的な信者はそれを速やかに察知して脅威となる人物を排斥するべきと考え、「あいつは罪を犯した人間だから、追い出しフルシカトするべきだ」という歪んだ正義感を振りかざすことの正当性をも塔記事に見出します。

JW平信徒側の宗教心を引き出し歪んだ正義感を強めるためにも、いかに人間なら誰しもが陥りやすい弱点である性の不道徳が罪であるかを強調し、過ちを犯す人間を裁いて罰しなければいけないという恐怖思想プロパガンダと罪悪感をものみの塔研究記事で植え付け、「甚だしい性の不道徳」とか「罪の重大さを理解させる」等のサブリミナル誇張表現を多用しマインドコントロールします。その結果、見事にJWの熱心頭信者たちは、若気の至りで過ちを犯し、また組織側の有様や教理に疑問に思う二世を「どうにかして裁いてエホバ神の組織を清く保つ必要がある」と断罪し、それこそが最も重大視されるべきミッションであるかのように錯覚します。

これが組織側に盲従する量産型ものみネーターの認知の歪みが生ずる過程です。しかし罪の告白や排斥制度の点についていくつか記事に書きましたが、犯罪でもないプライベートな過ちを犯した人を排斥し家族とすら会話できないような状況に追い込むべき等聖書には全く書いていません。実際にエホバの証人組織は、平信徒の心身など全く気に留めていません。人々の依存心や宗教心を利用して、内部信者を恐怖思想で統制するために、「罪の重大さを認識させ、甚だしい性の不道徳を告白させる」等の誰しもが陥りやすい弱点を突いて脅迫し、誇張表現を乱用しているわけです。やがて幼い子供は、そのような相互監視圧力が強まる環境下にて自分の気持ちを押し殺し、洗脳に掛かった両親の愛を得るために、自らも組織側に盲従しなければならないと考えるようになります。罪が入り込んだ不完全な世界において、心身の二次成長期に見られる一時的な乱れを許容できないjw熱心等の親御さんたちは、子供たちに対して否定的になり、親の愛情を受けることができずに育ってしまったjwはTwitterなどで過去の体験談をつぶやくようになります。

その中の一例として箴言22章15節の「懲らしめの鞭棒」の乱用があります。旧約聖書の「目には目を歯には歯を」の原則通り、もし動物や人へ虐めをする子供がいるのであれば、他人の痛みを感じさせる教育の一環として、鞭棒で数回程度叩くことが推奨されています。そのような数回程度の鞭棒による懲らしめは、心身面の後遺症には絶対になりませんし、罪の傾向が強く弱いもの虐めをする子供に対する適度な体罰は他人の痛みを身をもって教える意味で功を奏することがあります。

しかし、エホバの証人は、集会中にじっとできない(当たり前)幼き子供たちを「めっ!静かにしなさい!」とか言ってホースで叩いたりしてきました。しかも血が滲み今でも傷跡が残るほどに叩かれた方もいるようです。聖書には、集会中にじっとできない子供を鞭棒で叩けと書いてありません。エジプト人はイスラエルを圧制し鞭棒で理不尽に虐待してきたゆえに裁かれました。むしろ鞭棒で叩かれるべき聖句の原則「目には目を歯には歯を」は、子供を虐待した大人に対して当てはめられるべきでしょう。

エフェソス6:4 父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。

元エホバの証人二世へのダメージ

これがフリーメーソンエホバの証人の集団洗脳教育方法です。そこには、神の愛も相手を心から思いやる気持ちも全くありません。むしろ、「エホバに是認されるためには、会衆の清さを保つべき。危険人物、罪人は徹底的に追い出しフルシカトして私たちが永遠の命を失わぬようにしないとダメ。」といった歪んだ正義感を増幅させて、人の過ちや失態の粗探しをして互いに組織側に対しての疑いが生じていないか等を相互に詮索しあうカルト宗教特有の本音で話せない緊張感が生じた環境下を意図的に生み出しているわけです。

その環境下で生きて自分の気持ちを押し殺してきた宗教二世たちはいつかのタイミング遅くても心身が十二分に自立する20代で抑えていた気持ちを爆発させて、異様なほど破天荒な生き方に転じてしまったりします。このように二次成長期における生活環境は、その後の人格形成において大きな影響があるために、本来ものみの塔サイドは彼らの仕方がない過ちに関して放蕩息子や77回許すべきの例え話のようにある程度許容するべきと言えるでしょう。(マタイ18:21,22)

ところがものみの塔は、そんな平信徒側や幼い子供たちの精神の健康面などお構いなしに気に留めず、せっせとサブリミナル記事を沢山書いてそれを毎度しつこく「エホバが用いる組織のお告げだ」と厚かましく一方的に押し付け、恐怖を感じさせるような言葉の表現チョイスで相手の平常心を失わせて、洗脳することに成功します。

これは、聖書を利用した非常に悪質巧妙狡猾な洗脳テクニックです。人は追い詰められると普段ではあり得ない行動をとるようになります。ものみの塔の記事は、人の良心を押し殺させ平常心を失わせるために、「エホバの裁きを忠節に支持して、永遠の命に至る」とか平信徒側が一番重要視する「永遠の命」を人質、おとりとしてぶら下げ、それらのサブリミナル洗脳ワードを多用します。

しかし、旧約時代ですらも十戒含めた律法を重視するよりも、臨機応変に人々の福祉を気に留めて「生贄よりも憐れみが重視されるべき」ことが強調されています。それにもかかわらず、自身の子供たちの思いや本音すら、「楽園での永遠の命」を得るために無視してもいい、それこそがエホバへの献身なのだからと入れ知恵して、ありとあらゆる誇張サブリミナル洗脳キーワードがも塔記事で乱用され、ご利益信仰依存心のある大多数のjw平信徒側はそれを歓迎します。

ものみの塔による聖霊の冒涜

軽々しく平然と公正や義を語り神の組織を大言壮語しながらキリストを自分たちの低俗なレベルに引きずりおろし養うべき羊を追い散らし自らの「永遠の命」という欲望、偶像にしがみつく醜い厚顔無恥なパリサイ人的な本性はjw以外のクリスチャンが聖書を正確に解き明かした時のそれらの反応により露呈しています。大半は、「私たちは長年エホバに仕えてきた!彼らは正論を語るが偽物で悪霊的だ!」と言って、聖霊の働きを否定します。jw達が家々の訪問営業タイプの伝道をする動機は神への恩を売ることで永遠の命を獲得するご利益信仰に基づいており、本来は各々が拡散する教えが他者を不快にさせるものであることを自覚して自粛するべきでそれができてこそ誠実な信仰者と言えるでしょう。

jw二世で組織を離れ去った、嫌な体験をした方々に対する血の罪(実際にエホバの証人の排斥制度で自殺した方はいる)の責任はいずれjwサイドは負う流れに向かうでしょう。大いなるバビロンは米国であり国家に登録した宗教法人団体は母なるバビロンの娘です。やがてjwのアメリカ本部はキリスト再臨で壊滅します。一文に拘った聖句解釈で児童性的虐待被害者は増加してきましたし、冤罪不当排斥、過剰な断罪、家族にすら無視させる排斥制度、ありとあらゆる聖書にない教理伝統慣習の数々は、ものみの塔が一般社会よりも愛と誠実さの欠片も無いカルトであることを強力に物語っています。

「甚だしい性の不道徳を避けて、エホバの裁きを忠節に支持し永遠の命に至り神の是認を得る」という大言壮語がものみの塔記事で頻繁に見られる本当の意図は、宗教心を最大限に引き出し正義を掲げさせ結束力を高めて、組織に疑いを抱くゆえに非聖書的な生き方をする人物がいるなら脅威とみなし追い出すべきと思わせる演出と洗脳です。当人が非聖書的な生き方を辞めて命の水の爽やかさを知ってほしいと願うのではなく、過ちや罪を犯す理由に「組織側に対する疑い」があるなら、即座に追い出すべきと考えているために、相手の事情等を全く無視した人権侵害行為、排斥フルシカト等が平然と横行しています。また家族間のプライベートな内情にまで干渉し、互いに連絡を取るべきでないとか、それがエホバの裁きに忠節を示すことだとか、カルト思想ルールを強迫的に押し付け、永遠の命をおとりに使い、聖書を利用することに全く良心の呵責を感じない有様です。それに違和感を感じない程に何が何でも「楽園での永遠の命」にしがみつく偶像崇拝者、組織崇拝者が生み出されるわけです。

こんな普通ではありえない世にも奇妙な物語のような事情に違和感を感じず、むしろ居心地の良さを感じるエホバの証人は邪悪ですらあります。自分さえ良ければ他人はどうでもいい利己的なご利益信仰にしがみつく有様は、彼ら自身が隣人への愛よりも自分たちの立場を気にしていることの証明になります。「エホバへの愛」とか言いますが、エホバという名の偶像を拝んでいるだけであり、それはピリピ3章19節の通り「腹の神」でしかありません。

今までにこれからもものみの塔オンラインライブラリーを引用しますが、その中にはも塔側のサブリミナル誇張表現が沢山あるので、気づけば修正していきます。皆さんも何かおかしいと思う点がありましたらコメントで教えていただけると助かります。も塔は罪を悔い改めるべきとか表向きには聖書的な見解を出してきますが、他人が罪を克服して命の水に至ることを願うのではなく、組織へ縛り付けるために聖書を利用してるわけです。中には善意の現役エホバの証人でそのように感じる人もいるでしょうが、やはり組織崇拝が根底にあるので攻撃的に豹変することが多いです。

彼らは隣人への愛を体現せずいつも自らの保身や体裁や永遠の命へ固執して、憐れみを疎かにしています。このエホバのホバはヘブライ語で破滅を意味する単語であり、何か不吉な穢れを感じさせます。そこから真実と隣人への愛ゆえに脱出しないことには、利己的な精神性で永遠の命を渇望する本性ゆえに大いなるバビロンと見做され救いのための免罪符どころか滅びる理由となるでしょう。

マタイ18:6 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。 7世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。

啓示18:21 さらに,強い天使が,大きなひき臼のような石を持ち上げ,海に投げ込んで,こう言った。「大きな都市バビロンは,このように激しい勢いで投げ落とされ,二度と見られなくなります。

※ワテは特にJWとして子供依存しがちな母から忌避される等は経験せずむしろやりたい放題して育ってしまったパターンなので、あまり偉そうに言えないのも弁えています。

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