それでは、早速Παῦλος(パウロ)の原語の意味合いを調べましょう。左のリンクをクリックすれば、「小さい、少ない」の定義で書かれています。ウィキペディアではその意味は「控えめ、謙遜」と書かれています。これと関係する動詞παύω(パウオ)の原語ですが、アウトラインの意味では、「罪を辞める、中止する、もはや誘惑されなくなる」という意味合いがあると書かれています。実際に使徒13章10節にて魔術師バルイエスに「罪を辞めるべきだ!」と述べています。
サウロ、サウルのヘブライ、ギリシャ語の意味
名詞から動詞に変化するだけで全く意味が異なることになります。そこから英語のpauseつまり「一旦中止」が派生したと言われています。またパウロはユダヤ教廃止となったキーパーソンですし、ギリシャ語の通り決して壮大ではなく周囲から弱いとか取るに足りないとされる小さい謙遜な人物でした。ここでパウロの元々の名前であるサウロ(サウル)についてまずギリシャ語でおさらいしましょう。リンク先では「望ましい」という意味があると書かれています。そしてヘブライ語も全く同じ意味があります。
ところがここである海外の人たちはサウルはシェオルの言葉から派生しており、サウロことパウロの教えは死に至らせる罠だと言い張ります。しかし、シェオルは母音がサウロことサウルと全く異なるわけですから、別の言葉になります。当然エホバは不吉な言葉ですが、ヤフワは母音が違うので子音の形が双方同じとしても全く別の意味になります。
そして、パウロをヘブライ語に敢えて分解してみましょう。פָּעָה(パア)は次のたった一つの聖句で使用されています。とても興味深いです。
パウロを敢えてヘブライ語に分解
イザヤ42:14 わたしは決して声を立てず黙して、自分を抑えてきた。今、わたしは子を産む女のように叫び(パア)激しく息を吸い、また息を吐く。15わたしは山も丘も廃虚とし、草をすべて枯らす。大河を島に変え、湖を干す。16目の見えない人を導いて知らない道を行かせ通ったことのない道を歩かせる。行く手の闇を光に変え曲がった道をまっすぐにする。わたしはこれらのことを成就させ見捨てることはない。
使徒9:15 しかし、主は言われました。「さあ、行きなさい。このパウロこそ、わたしの教えをイスラエル人だけでなく、世界中の人々や王たちに伝えるために、わたしが選んだ人です。 16彼には、わたしのために、どんなに苦しむことになるかを告げるつもりです。」
この「叫ぶ」の箇所で使用されているわけですが、神ご自身が産みの苦しみを伴いながら叫び全てを廃墟として、その後新たに彷徨うイスラエルたちを導くとあります。この42章は主の賛美の箇所です。しかし文脈前後18,19節では「私の僕程目も見えず耳が聞こえない」と嘆いておられます。それでも確かに一旦廃墟となるものの16節ではその目の見えない人たちを導くとあるわけですから、前向きな希望を前途に全て刷新することが述べられています。
使徒28:25 しかし、さまざまなことを言い合いながら去る彼らの耳には、いつまでも、パウロの最後のことばが響いていました。「聖霊が預言者イザヤを通してお語りになったことは正しかったのです。26『ユダヤ人に告げよ。「あなたがたは聞くには聞くが理解しない。見るには見るが認めない。27心は肥えて鈍くなり、耳も遠く、目も閉じられている。見もせず、聞きもせず、理解もしない。わたしに立ち返って、いやされようともしない。」』(イザヤ6・9-10)28-29だから、よく覚えておきなさい。神のこの救いは、外国人に与えられました。彼らはこの救いを受け入れるでしょう。」
それでは、パウロの語尾לָמַד(ラメッド)ですが、こちらは元々goadつまり突き棒を意味します。懸命に学ぶとか訓練されるを意味するポジティブな意味合いの言葉になります。 興味深いことに、NKJVの使徒26章14節で、goadつまり突き棒(イエス)を蹴るなら自分自身(パウロ自身)を傷つけるとイエスがパウロに述べます。その後ヘブライ語原語の通り、完全にパウロはキリスト教に改心し、突き棒なるイエスから訓練され学びを受けて、神の産みの苦しみを伴いながらに王国の子たちを増やしました。
さらに念には念をの意味でもう二つパウロの発音に近いヘブライ語を列挙します。פָּלָה(パラ)です。この言葉も大変興味深いです。「区別する、切り離す、際立たせる、素晴らしい」等殆どポジティブの意味で使用される言葉です。詩編17編7節の「主の驚くべき親切」と139編14節の「主によって素晴らしく創造された」の意味で使用されています。リンク先のKJV使用例では、出エジプト記と詩編含めた5箇所で主がイスラエルとエジプトを「区別」つまり「聖別」している箇所で使用されています。(出エジプト8:22;9:4;11:6;33:16,詩編4:3)פֶּלֶא(ペレ)に関してはポジティブな意味の「驚くべき」でしか使用されてません。
どうでしたか、パウロは偽使徒であるヒントが原語に隠されているというものの、ニュートラルに調べてみるとヘブライ語、ギリシャ語観点からしても暗喩的に生き様通りの意味合いが込められていることがわかるのではないですか。
つまり、パウロはギリシャ西洋地方の国々にとって「小さい弱い謙遜な存在ながら異教的な生き方の罪をパウオ辞めさせる」使徒でありながら、ヘブライ人からすればパア「産みの苦しみを伴いながら驚くべき学びと啓もうで新たな区別、聖別を生み出す」教え手ラメッドあったと読み取れます。(しかし、古代イスラエルが律法を盾に憐れみ公正を無視し背教したのと同じように、パウロの恵みの一文のみで西洋ローマ教会から派生したクリスチャンたちも背教する可能性が高い)
こちらを引用しましたが、このブログの著者はrestrainやrefrainをretrainと書き間違えたり、その他各動詞とは関係ない動詞や名詞をピックアップして本題からずれているので、その中でも必要と思わしき箇所のみ厳選しています。


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