幼子になることは馬鹿になることではない
牧師と呼ばれる人たちがこのような馬鹿らしい言動を推奨しており、これが神様の前に幼子であることだとか、ダビデ王も神の前で踊ったとか言い出す始末です。しかし、ダビデは策略家であり戦術家でもあり、常に先陣切って戦いを挑む勇敢で知的な信仰者でした。しかもダビデの踊りの記述はひとつだけであり、常日頃このようなダンスをしていたわけではありません。サムエル第一21章には、ダビデ王がキチガイのふりをしていた様子が描かれています。つまり馬鹿を演じていたわけですから、馬鹿ではありません。
キリストは幼子の態度や言動を称賛されましたが、文脈を見れば、彼らが大人の弟子たちと異なり素直で比較し合ったりせず間違いを容易に認めることができる純粋無垢な心の状態であったからです。幼子であること≒馬鹿っぽいことではなく、むしろ、謙虚、素直であることです。
マタイ10:16 さあ,私はあなたたちを遣わします。あなたたちはオオカミの間にいる羊のようになります。それで,蛇のように用心深く,しかもハトのように純真なことを示しなさい。
コリント第一14:20 愛する皆さん。こんな道理がわからないような子どもであってはなりません。悪事をたくらむことにかけては、無邪気な赤ん坊でありなさい。しかし、こうしたことを理解する点では、知恵のある大人になりなさい。
戦いを常に経験し命をサウル王に狙われて息子たちの背徳を目の当たりにし、時に感情的になりながらも前を向き続けて人生を終えたダビデ王と異なり通常の基督教界隈の人たちは人生経験が浅いと言わざるを得ないでしょう。そのような理解力や共感能力のない大人の思考をしていない人達が、「ジーザス、ほんでれれまんでれれーさんだばばばー♫」とか異言で語る祈るとか言って、床にゴロゴロ転がったりしているわけですが、まともな人達はこのような馬鹿げた愚かで不気味な言動に不快感を感じることでしょう。
気になる人はholy laughterとかkundalini churchとかで検索してください。一見面白いですけど、これをキリスト教として奉じるならカルト体育会系集団催眠状態しか思えません。教会でいきなり頭を押さえつけられて倒されたりしますよ。
しかもこのような不謹慎で不気味な精神態度を抱く人たちは、もうすぐキリストが携挙してくれるとか夢見ており、二ケア会議で決定された宗教的教理に完全同意した人たちのみが救われ他は全員地獄行きとか裁いています。このような教えや精神態度が蔓延する基督教は体育会系と言わざるを得ません。
体育会系のクリスチャン
体育会系の居酒屋の朝礼などはyoutubeで確認できますが、「今日も一日全てに感謝、感謝、感謝でーす盛り上げていきましょう、ナンバーワン!」とか意味不明な自己啓発的な自己催眠を大声でかけます。それと同様に通常キリスト教も、「自分たちだけが救われ命の書に名前が記された」ことに感謝してナンバーワンになるとか夢見る人間味の欠けた競争社会における資本主義的な考え方に影響されています。
「自分たちだけがナンバーワンで艱難前携挙されることに感謝します!」「エホバ神の組織に導いてくださったことに感謝します。私はあなたに全時間奉仕開拓者として人生捧げます!ハレルーヤ私達がナンバーワンです!」といった具合でしょう。このようなカルト体質体育会系の雰囲気を常識人は感じ取りますから、普通はエホバ教やキリスト教に勧誘されても多くは断ります。
救いは艱難時代の末期に起こります。それまではクリスチャンを指導して裁く144000人クラスの有限数エリートクラスと全世界から選ばれた無限数の24人の長老クラスの二パターンの王国の子たちを集めるのが先決であり、エホバ教が言うような患難時代末期に救われる大群衆を集めること、キリスト教会が言うような、二ケア会議で勝手に決議された三位一体を信奉させて天国行きを決定させて艱難前に携挙されることなどが目的ではありません。
これらを通して福音が全世界に広がることが許容されているのでしょうが、実際にその教えを鵜呑みにした人々は非常に厄介な存在になり得ると言えます。彼らは体育会系であり単細胞的な思考をしている霊的に未熟な毒麦になる可能性があります。そうでなければ双方はエホバ教の組織盲従教理、キリスト教の意味不明な教えである体育会系の体質に嫌気がさすでしょう。まともな感覚をしてる人たちは、キリスト教の教えを必死で模索してそれらから分離することになるでしょう。
エホバ教もキリスト教も体育会系です。はっきりいって聖書はかなり難しい書物です。一世紀の使徒たちはパソコンがない時代に一字一句間違えることなく預言や啓示や系図を書き留めています。このような繊細さは今のキリスト教にもエホバ教にもありません。
せいぜい「ジーザスハレルーヤ、俺たち携挙ナンバーワン」みたいな感じです。本来は誰が携挙されるか一番偉いかなどで競い合うのではなく、幼子のように解釈の異様さや間違いを認めて謙虚に人々に身を粉にして仕えるというのが、キリストがご命令した真意なのでは。「わー!ジーザスがしてくれたよ♫」とか言って床に転がって泣いて叫んで震えたりニケア会議由来宗教カルトのキリスト教を鵜呑みにする人たちは、蛇のような用心深さも鳩のような純真さもありません。それは理解の浅はかさと真実への探究心や熱意の欠如、不誠実さや不正直さ、冷酷さを示しています。体育会系のキリスト教に疲れたならそこを脱退したほうがいいです。宗教は麻薬だし前頭葉が機能しなくなるので目つきもおかしくなります。



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