エホバの証人の性教育や性道徳基準はセクハラ虐待である

2022/09/25

エホバの証人 性道徳

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エホバの証人は逐一「性の不道徳を避けて」とか「兄弟が姉妹と二人きりになる場面を避けて」とか人間が常日頃性的欲求に支配されていていまにも年齢問わず誰とでも罪を犯すみたいな考え方を強調します。こじらせてるし異常な考えの長老が増える原因になっています。私はこれまで多くの元エホバの証人を観察してきてこのJW式性教育は間違いではないかと考え始めています。

婚前交渉について

出エジプト22:16  「また,人が婚約していない処女をたぶらかしてこれと寝た場合,その者は買い取りの代価を払って彼女を必ず自分の妻とするように。 17  その父が彼女を与えることをきっぱり拒むなら,彼は処女の買い取り金に応じた金を支払うように。

申命記22:20 しかし、夫の訴えどおり、妻が処女でなかったことがはっきりしたら、 21裁判官は彼女を父親の家の戸口に引き出し、町の者が石を投げつけて殺しなさい。両親のもとにいながら淫行の罪を犯し、イスラエルの名を汚したからです。このような罪悪は除き去らなければなりません。(文字通り石打にするわけではなく誰もが罪人であることを悟らせる影の役目を担う律法)

ホセア3:1 それから、主は私にこう言いました。「さあ、もう一度、妻を連れ戻せ。たとえ姦通を愛する女であっても、彼女を愛せ。イスラエルが他の神々に心を向けて、高価な贈り物をささげても、主はなおもイスラエルを愛しているからだ。」

ヨハネ8:10 イエスは体を起こし、女に言われました。「あなたを訴えた人たちはどこにいますか。罰する者は一人もいなかったのですか。」 11「はい、先生。」「そうですか。わたしもあなたを罰しません。さあ、行きなさい。もう二度と罪を犯してはいけませんよ。」

ガラテア3:19 では、そもそも律法は何のために与えられたのでしょうか。それは、神の約束につけ加えられたものであり、それに違反することがどんなに罪深いことかを人々に示すためです。ただし、この律法の有効期間は、その約束の指し示す「子」、すなわち、キリストが来られる時まででした。さらに次のような点も指摘できます。神様は律法を、天使たちを通してモーセにお与えになり、モーセがそれを民に告げ知らせたのです。 20しかしアブラハムは、天使やモーセのような仲介者を通してではなく、神から直接約束を与えられたのです。 21だとすると、神の律法と約束とは、互いに対立するのでしょうか。そんなことはありません。もし私たちが律法によって救われることができたのであれば、それで事はすんだはずです。罪の力から逃れるための、別の道が開かれる必要などなかったのです。

まず婚前交渉を避けるようにjwでは教えられます。それはあながち間違いではありません。しかし、若さの盛りの時期は性的欲求が強まり婚前交渉をする確率は高いでしょう。問題はその後です。実はモーセの律法では、男女が結婚する前に関係に至った場合、結婚すればお咎めなしになります。また相手の両親が反対して結婚できない場合、賠償金を払る取り決めもあるために、現代に適応するなら、何か高額プレゼントを相手を大切に思う気持ちの証として渡すと良いでしょう。相手さんのご両親とうまくいけば信頼を勝ち得て関係性も良好になり、結婚に至ることもできるでしょう。

旧約時代における禁止事項は結婚している男女が結婚外で姦淫を犯す事例です。より問題だったのが、当時は侵略による策略婚の意味合いを兼ねて悪魔サタンがイスラエルを乗っ取り神ケモシュに赤子を捧げて焼くとかカナン人の睾丸を失くす異教の習慣や人身御供を伴う偶像崇拝を蔓延させたり、資本主義の搾取制度導入によるイスラエル根絶とモアブ人増殖の強化によるメシア血統根絶を狙い刺客を送り込んで来るケースがあったので、モラルの崩壊と霊的姦淫つまりヤフワ以外に仕える民族との結婚を禁止する防波堤の意図で淫行や姦淫を死罪に値すると規定し禁じていました。最もイスラエル国家内における単なる姦淫も原則として死刑に該当する罪と定義されています。

申命記22章の箇所は、出エジプト記と照合しても、意図的に処女でないことを隠ぺいして結婚し相手を騙したケースですので、普通にバージンではないことを互いに理解しながら結婚した状況とは全く異なります。それでも、姦淫はイスラエル内で頻発しており神はまだ原則死に至る罪と定義つけても肉の弱さを旧約時代から理解されていました。ホセア3章では姦淫した妻をまた愛するように神が述べているからです。即座にイスラエルが裁かれないためにもかなり譲歩した一夫多妻制度が導入されており、性的な欲求が満たされず不道徳に陥る誘惑は男女ともに今よりも少なかったと言えるでしょう。

実際に、姦淫で即石打とか死刑になってる事例は旧約中に登場しません。キリストも姦淫の女性が石打される場面で赦しています。(ヨハネ8章)原則死刑になるほど悪いことであると定義されていますが、人間は誰しも一度や二度そのような体験をしてしまう可能性はあり、実はメシアの先祖となった人物たち(ユダと娼婦のフリをしたタマル、ロトと娘、娼婦ラハブ、ダビデ等)も不道徳や姦淫の罪を犯す人たちでした。

律法は罪を明らかにする影の働きをするだけであり、規定通りに石打ちや鞭打ちを執行するより、それ程の罪悪であろうとも互いに許し合える良心の感化を促すための規定であり、この聖書の罠にはまったパリサイ人は律法の存在意義を理解できずひたすら他人を裁きたがり、文字通り額に律法を巻き付ける天然サイコパス系のやる気のある無能有害キャラになったのです。

異様なエホバ教の性教育

話を戻しますが、JWエホバの証人の問題は、やたらとこの性道徳についてかなりこだわりをみせる異様な執着性にあります。例えばjwの若い姉妹が不道徳を犯せば、40くらいのスーツ姿の長老なるおっさんに囲まれ、「何度それをしました?感じましたか?愛したのですか?どんなつもりでそれをしましたか?エホバに悔い改めますか?今もしていますか?したいですか?過去にもしていた他のことなどありますか?全て言って信頼をもう一度得てください」とか執拗に事情聴取されます。ある人は馬鹿らしくなりそれらの愚問に呆れてエホバ教から脱退したと言います。

画像はクリックタップして頂くと文字が鮮明になります。これは男女間の交友関係においての経験が極端に疎い状況下で育ち長老の立場であるために甘やかされて育ったアダルトチルドレンのような長老による陰湿な聴聞会と言えます。彼らは長年常識からかけ離れた閉鎖社会で生きてきたのでプライバシーに配慮する心遣いや自分が折れること、空気を読むことができず、それをエホバの義の基準とか裁きとか言って他人の粗探しをします。

JWは会衆外部の人と恋愛をすることを常日頃禁じています。そのために教団内部には男女間の関わり方や距離感に疎い欲求不満の欲情しがちな男女が大半になります。また児童性的虐待も頻発しそれを二人の証人ルールで隠蔽するなど肝心な性犯罪に対する対処法などが実行されていません。さらに若手の男女は抑えていた欲求が爆発して異様なほど発散するようになり、ある人達は悪魔崇拝者になったりロック・ミュージック狂いになったり、ある姉妹はツイッターに赤裸々に性行為の体験談を書いて何とか自分を肯定しようとしています。

ワテは独身で今は結婚前行為等しませんしそれを推奨はしませんが、他人がそれをしてしまった場合に、モーセの規定にあるように最終的に結婚するに至るなら、エホバ教長老の助言という名の言葉の暴力「婚前行為は罪ですエホバが忌み嫌うことです。あなたは会衆外部の未信者と交際を続けてエホバに逆らいエホバを悲しませエホバの怒りを買う行為をあなたの愛する彼氏にさせるのですね?」という長老の断罪に一ミリも同調できません。基本クリスチャン同士での結婚が望ましいのでしょうが、不特定多数と関係に至るわけではないなら、モーセの律法で一夫多妻制度が容認されメシアの先祖となった罪人たちも数々の不道徳や姦淫に至った事例を考えても、今交際しているパートナーと結婚を将来することを決めているなら、そこまでエホバ教が言うように断罪する必要はないのではと感じます。またどうしてもなにか複雑な事情があり、親が結婚を赦してくれないとかわかりませんが、正式に役所に婚姻届けなど提出できないケースで関係に至っている場合でも一人のそのパートナーとのみ結ばれるなら、エホバ教のように責める必要もないのではと思っています。(私はそれをしませんが。)

当時のイスラエルは神の選びでしたがサタンの働きによりその周辺国家は堕天使と悪霊に憑りつかれて残虐行為を伴った異教の催事を執り成しており、イスラエルは死刑執行人として裁きを施行する祭司国家の役目に就いていました。しかし、そのイスラエルは常に悪魔に狙われ度々周辺国家のサタンに入れ知恵されたスパイが送り込まれ、国家のモラル崩壊の危機に常に晒され遂に背教しイエスを磔にするにまで至りました。その後救いの恵みはイスラエルのみならず全世界に広げられ、全世界中の人々全員がエホバの証人が説くような人身御供を慣わしにする犯罪人の刺客でないことは明白です。寧ろ古代イスラエルの事例を考えても悪魔サタンはエホバの証人やキリスト教世界のような神を知る人々やその周りに強烈に働きかけます。反社会性の無い一般人女性と人身御供を慣わしにしてイスラエル国家を飲み込もうと目論む犯罪者異教徒モアブ人女性を同列に並べることは聖書的ではありません。

一般人たちが結婚前に結ばれた場合、それは結婚によって祝福されるか無理なら互いを労わりプレゼントを交換し合い事情がって互いに理解できなくなるなら尊重しあって離別するかそのまま交際を持続するか等によって罪の受け戻しの規定が申命記にあります。ポイントは、相手を快楽目的で利用しないことであり、結婚を前提にして真剣に向き合うことです。

ですから、も塔の文脈無視したとにかく何が何でも婚前交渉を罪と定義付けたいセクハラ行為断罪は、組織への罪悪感を引き出し恐怖思想で縛り付け洗脳し支配下に置くために恣意的な教理でしかありません。ものみの塔があれほど性の表現に固執するのは、人間の一番の弱点である性的欲求を罪として脅迫しそれを人質に取り信者を組織の下に依存させるためです。この異様なエホバ教の性道徳は心身の不健康に繋がります。私はツイッターで元開拓者の若い姉妹が一人の男性と関係に至り、排斥され親からも「あなたはあなたの彼氏をエホバに殺させるつもり?罪をやめなさい」とか言われて異様に罪悪感に苛まされてる現状を見ました。またそのように言われた姉妹は気狂いのように性体験を赤裸々にツイッターに書き綴って汚れた存在になったと思い込んでいる自分自身を何とか受け入れようと葛藤しているように思えました。

エホバ教の性教育はどう考えても異様でしょう。明らかに不特定多数と関係に至る現状や結婚しているのに風俗に行きまくる、快楽のためだけに不倫や浮気をしまくる、ポルノ中毒になる、このような状態なら確かに様子を見ながら慎重に叱責と専門家によるカウンセリングも牧者の祈りによる助けも必要になりましょう。ですが、どう考えても若い姉妹が一度エホバ教外部の男性を心から好きになり、関係に至ってしまい、最終的に今は結婚した場合、「あなたはエホバを悲しませた、組織に戻って悔い改めを示しなさい。終わりは近いわよ、お母さんあなたがエホバを悲しませてしまっていることが悲しいわ」とか言われる筋合いはないでしょう。

肉の弱さに至った後の保険(律法の譲歩と贖いの許し)

前提として聖書も婚前交渉を積極的にして良いとは言っていません。ただ、肉の弱さによって陥った場合、また不特定多数と関係に至って快楽主義になったりしてない場合には、モーセの律法にすら配慮の規定、それは結婚という逃げ場の保険があるということです。事情があって今すぐ結婚できない場合でもとりあえず一人の人とだけ関係を保つことをお勧めしますし、その場合責めたりするべきでもありません。

上記の姉妹は今も活発にツイッターで現状報告してますが、普通にその男性と結婚しているようです。それで、エホバ教は彼女を責め立て心の石打ちをして追い出し排斥して、家族との絆も破壊しました。これはパリサイ人の精神性と習慣でしょう。私がJWだった時に、ある兄弟が「〇〇(ある姉妹のこと)はしばらく世で楽しんで結婚までして今更涼しい顔して戻ってきてる、どうかなーと思うけどね」とか言ってきたのを聞きましたが、このように自分に関係ない他人の生き様に何故か腹を立てるjwは多いのです。

我慢大会をしてる気分になって危害を加えてこない人を恨んだり憎んだり妬むくらいなら、一度不道徳の放蕩息子のような生活をしてもその後悔い改めて落ち着いた方がマシでしょう。性的不道徳は中毒性があるので、自制すれば合理的に生活が楽になり、欲求のコントロールが可能になります。

ですから、実際には我慢大会ではなく現実的に自分にとって有益なのですが、エホバ教の若い長老たちは民度が低く閉鎖的な空間で過ごした故に精神年齢も低く、他人の生き方に関して過剰に干渉し嫉妬を抱いたりします。JWは組織の人とのみ恋愛しなさいとかデートの際にも誰か監視をつけなさい不道徳に至らないためにとか、男女はいかなる場面でふたりきりになってはいけないとかの気持ちの悪い世にも奇妙な話ドラマに出てきそうな変なエホバ教ルールがある監視社会の中で生活しているので、性に関してかなりこじらせます。実際に高齢者jw相手ですら二人きりになると「あ、二人なったらあかんわ」と言い出す始末でした。

このような性への異様な意識はもはやモーセの時代にもキリストの時代にもない特殊なエホバ教特有の性事情になっています。jwはなぜかやたらと性の不道徳を避けて、見ないようにしてとか不必要なほど頻繁に性的欲情を逆なでしています。「若い人から学ぶ」も塔出版の本には、赤裸々に性行為の専門用語、オーラルやらアナル(けつあな確定)やらが並べ立てられ、若い男女があれらを読むなら逆に興味が湧いてしまうでしょう。旧約の律法に性の規定はありますが、性行為の体位について書いてませんからね。も塔出版の本にはありますが。しかも救いようがないのは、最終的にそれらの行為に及んだ男女がエホバ教のイカれた長老から強く断罪され傷つけられる現実です。

これは非常に悪質なエホバ教の性教育です。またエホバ教はおそらく会衆内で成員がした不徳行為をデータに記録して文書化して保存までしています。罪を塗り消すと断言するヤフワの教えとは程遠く、姦淫のサマリヤ女性を石打から救ったイエスの精神とも程遠く、もはやユダヤ教ですらなく、ものみの塔下半身強化教育監視社会カルトと言えるでしょう。聖書筆者の意図や文脈を把握しないお粗末なカルト解釈によって児童性的虐待の被害者は二人の証人ルールの悪用乱用で増加傾向にあります。

若手のクリスチャンが誰かを好きになり結ばれ結婚した場合、彼らを呪うのではなく祝福するべきでしょう。これはイスラエル周辺国家のサディスト犯罪者刺客女との国家単位でのモラル崩壊の可能性がある侵略結婚目的での不道徳行為とは全く異なります。それは上述した申命記の聖句で規定されている通りです。この当たり前の神が取り決めた子孫繁栄して家庭を持つための恋愛や結婚における人間社会での普通の倫理観はエホバ教には通用しません。エホバの義の基準が一番大事とかエホバを悲しませるなとかエホバに悔い改めを示せとかまさに欲求不満の常識観念を失った長老たちは、ムッツリしながら人との触れ合いに幸せを見出したあなたを殺す勢いで呪います。これはもはやモーセの教えにもないし、ユダヤ教でもないことは明白です。なぜなら、何度も重複しましたが、婚前関係に至った場合モーセの律法では結婚することで既に許されているからです。

さらにキリストの時代に今のご時世のような役所への婚約届提出規定があったかわかりません。もしエホバ教に属している兄弟姉妹が、婚前行為に会衆内部にせよ外部にせよ一人の人と至った場合、その後結婚しているなら、まずそれは人生の汚点や過ちとしてカウントされないでしょう。またどうしても複雑な事情があり駆け落ちするしかない状態で関係に至って婚姻届けを役所に提出すぐにできない事情がある場合、本気でその一人とだけ向き合うならエホバ教が植え付ける罪悪感や恐怖や自己嫌悪感を抱く必要はないでしょう。(ワテはしませんが、他人がそうなった場合断罪するつもりはありません)

も塔研究記事の性的描写の事例

まず姉妹がエホバに祈るとパンティー17枚が匿名人物から送られてきたとか、ストーカー行為みたいな体験談が生々しい描写と写真と共に赤裸々に描かれています。ツッコみどころは、パンティーが17枚という詳細は不要ですし危険性を考慮するべきです。

続いて、教師がブラジャーを着けてないとかおせっかいな下世話なことも体験談としてあります。たまたま忘れてたのかもしれませんし、ほっておくべきです。ですから記事にする必要はありません。

これも変なのですが、イザヤ66章11節にて「乳房」と訳される原語を乳首に変えてしかもそもそもその該当箇所に乳房の原語も無いのに敢えて表記して滑稽な表現を使用しています。性を穢れと教え込む割にはひたすらデリカシーの無い表現を起用する意図は果たして何か。

暫く集会には参加してないので仕様が変化した教育内容についていけませんが、一週目「ポルノを避けよう」、二週目「性の誘惑を避けよう」、三週目「性の不道徳を避けよう」、四週目「組織を信頼しよう」みたいな下半身強化教育を徹底しつつ尚且つ組織に対しての反対意見=ポルノと同等の悪と定義づける刷り込み洗脳が実施されているようです。ちょっと笑える気もしないでもないですが無礼過ぎますよね。

まとめ

エホバ教は隣人を嫉妬心から呪います。実際にワテも過去における女性との不道徳な関係を無礼にも詮索されたことがあります。長老の本とかいうマニュアルを読んでそれを実践する長老はものみネーターロボットであり人間味のないカルト信者特有の考え方をしています。真顔でエホバの愛とか公正とか義を求めるとか言ってますが、実体は歪んだ性教育によりムッツリした欲求不満の傾向がある対人関係の心得も無く優しさも愛情も憐れみも失った人を裁き罰したがる器の小さい経験の浅い長老たちの超監視社会です。ユダヤ教ですらありません。ユダヤ教は良質で健全であり、婚前交渉に至る人を結婚させて赦し祝福します。エホバ教も塔は追い出し家族にすら無視をさせ人権侵害し、プライバシーの生活を記録にまとめて文書化してあなたを断罪し言葉の暴力で心を石打にするでしょう。

エホバの証人は不道徳を避けることを誇らしげにして近年は感情に訴えかけるようなポップス風の曲調で「エホバと肩を並べて~♪愛されうぉうおぅ~♪」みたいな低俗化した賛美を呑気に口ずさんでいます。しかし一般人の常識人未信者さんたちも既に性的欲望を自制しつつ普段馬鹿げた歌を口ずさまず他人のために尽力しておられるケースも少なくありません。実はエホバの証人とは、ユダヤ教ですらなく許しを与えずこじらせて常に互いを疑い粗探しをしながらに監視し裁き合う現代版のスーパーパリサイ人教だったわけです。以下の聖句を見ても、も塔の長老がいくら「婚前交渉を控えてエホバの裁きを忠節に支持し永遠の命に至る」とか過剰に脅迫してそのも塔の戒律を遵守して誇って楽園行きの自己推薦をしてもおそらくそれは全く無価値であり寧ろそれこそが逆に神の救いの計画を見るための障壁になり得るでしょう。

マルコ7;6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。 『この民は口先ではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 7人間の戒めを教えとしておしえ、 むなしくわたしをあがめている。』 8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 9更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。

ルカ18:9 またイエスは,自分こそ正しいと思って他人をさげすむ人々に次の例えを話した。 10 「2人の人が祈りをするために神殿に上りました。1人はパリサイ派の人,もう1人は徴税人でした。 11 パリサイ派の人は立って,心の中でこう祈り始めました。『神よ,私がほかの人々のように,脅し取る者,不正な者,姦淫をする者ではなく,この徴税人のようでもないことを感謝します。 12 私は週に2回断食をし,得る物全ての10分の1を納めています』。 13 一方,徴税人は離れた所に立って,天を見上げようともせず,悲しんで胸をたたきながら,『神よ,罪人の私に慈悲をお示しください』と言いました。 14 あなた方に言いますが,この人はパリサイ派の人より正しいことが明らかになり,家に帰っていきました。高慢になる人は皆辱められますが,謙遜になる人は高く評価されるのです」。

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