申命記22章28,29の「男が処女を捕らえて寝た」の原語の意味

2021/05/16

性道徳

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申命記22章28,29節の処女が男と寝た場合の処置についての原語からの解釈を試みます。この聖句ではNIVでは前文の25節での強姦ケースと同等とみなされrapeレイプの単語が使用されています。しかしこの訳し方は実は原語の意味からすれば意味が異なっています 。原語はこちらから

強姦を意味する原語と異なる 

申命記22:22  「人が所有者に所有される女と寝ているところを見いだされた場合,その両人は,すなわち女と寝ていた男もその女も共に死ななければならない。こうしてあなたはイスラエルから悪を除き去るのである。

23  「ある人と婚約した処女の娘がいて,[別の]男が市内でこれに出会って共に寝た場合, 24  あなた方はその両人をその都市の門のところに連れ出して,これを石撃ちにしなければならない。そのふたりは死なねばならない。娘は市内にいたのに叫ばなかったため,男のほうは仲間の者の妻を辱めた(anah読み方はアナ)ためである。こうしてあなたは自分の中からよこしまな事を除き去らねばならない。。

25  「しかし,男が婚約しているその娘を見つけたのが野原であり,その男が彼女を強制的につかまえて(chazaq読み方はシャザク)これと寝たのであれば,彼女と寝たその男のほうだけが死ななければならない。 26  そして,その娘に対しては何も行なってはならない。その娘には死に価する罪はない。この場合は,人が仲間の者に立ち向かい,これを,すなわち魂を殺害した場合と同じだからである。 27  その者が彼女を見つけたのは野であったのである。婚約していたその娘は叫んだが,これを救い出す者がいなかった。

28  「人がある娘,すなわち婚約していない処女を見つけ,これをとらえて(taphas読み方はタファ)共に寝,その者たちが見いだされた場合(matsa), 29  彼女と寝たその男はその娘の父に銀五十シェケルを与えなければならない。そして,その者が彼女を辱めた(anah読み方はアナ)ゆえに,彼女はその者の妻となる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない。

申命記22章28節はレイプを合法化させる律法だと言われていますが、前文の明らかなレイプを詳述するケースではシャザクという「力づくで捕らえる」を意味する原語が使用されているのに対して、28節ではシャザクが用いられずにタファという原語のみが使用されています。

このタファは、ハープやフルート(創世記4:21)、剣(エゼキエル21:11、30:21)、鎌(エレミヤ50:16)、盾(エレミヤ46:9)、櫂(エゼキエル27:29)、弓(アモス2:15)を「取り扱う」で使用されています。同様に、神の名を「取る」(箴言30:9)、神の律法を「扱う」(エレミヤ2:8)などにも使われます。ヨセフの衣が「つかまれた」(創世記39:12; 列王第一11:30)、モーセが二つの律法の板を「取った」(申命9:17)、都市が攻略されるの意味で「捕らえる」(申命記20:19; イザヤ36:1)、人々は「捕らえられ」捕虜にされる(列王第一20:18)、姦淫の妻は、その行為を「捕らえられた」(民数記5:13)、さらに申命記9章5節の「あなたの義や心の廉直さのゆえにあなたは入って行って彼らの地を取得するのではない。実に,これら諸国民の邪悪さのゆえに,あなたの神ヤフワは彼らをあなたの前から打ち払われるのであ(る)」を考慮すれば、侵略するに至り正当な理由があるわけで、決して残虐行為や誠実な人々を制圧する意図ではないことから、原語自体に理不尽な強制的の意味はなく、むしろ正当な根拠がある場合に「捕らえる」、または武具や楽器を適正に取り扱うという意味で用いられます。

これらの原語を考慮しても通常男性側が女性をリードする状況下、例えば男性が女性をお姫様だっこしているような状態を示していると推測できます。男性側が女性を誘惑して身も心も掌握し捕らえたケースだと推測できるのです。

なぜ「捕まえた」の単語が「誘惑」にも関係しているのか。それは出エジプト記22章16節にも同等の状況が説明されているからです。

出エジプト22:16  「また,人が婚約していない処女をたぶらかしてこれと寝た場合,その者は買い取りの代価を払って彼女を必ず自分の妻とするように。 17  その父が彼女を与えることをきっぱり拒むなら,彼は処女の買い取り金に応じた金を支払うように。

一見違う状況を説明しているように見受けられますが、出エジプト記での律法は申命記と完全に重複する箇所がたくさんあります。そもそも申命記とはギリシャ語では第二の律法、第一をコピーするという意味があり、紛れもなく出エジプト記の完全コピーの第二版と言えます。

原語の意味に戻りましょう。 

タファの意味は主な意味は「捕らえる、掌握する」の意味ですが、力づくで捕まえるを意味する「シャザク」が全く使用されておらず、また聖書66巻を通しても強姦事件のケースにおいて「タファ」は全く使用されていません。タファは掌握するの一方でイザヤ3章6節では「人は父の家で兄弟に取りすがって言う。『お前にはまだ上着がある。我らの指導者になりこの破滅の始末をしてくれ』と。」の意味でも使用されてます。つまり、「男が処女に取りすがって(懇願して誘惑して)共に寝た」と訳することができます。上のアイキャッチ画像になっているように、求愛しお姫様抱っこした状態を身も心も「とらえた」と表現しています。

むしろ、顕著な強姦事件であるケースだったアムノンによるタマルの強姦事件(サムエル第二13章)、士師記におけるベニヤミン族の男たちによる強姦事件(士師記19章)、どちらも「シャザク」という「力づくで捕まえる」を意味する原語が用いられており、それらにおいては当然「タファ」は全く確認されません。

申命記22章の聖句でもシャザクとタファが連続して区別して使用されている原文構成上から、レイプ事件と合意での行為における対処法の違いを理解する必要があります。23,24節においては合意の上での姦淫、25−27では男が婚約している処女を力づくで犯した場合です。続く28,29節では「女性が辱められた」と表現されているために「男の処女への強姦」と早合点しがちですが、辱められたの原語のアナは上記の聖句で示したましたように24節の合意での姦淫でも用いられています。

姦淫は合意でも女性を辱めることになりますし、結婚前に処女を喪失することは女性側にとっては貞潔を失うことですから、辱めを受ける(アナ)ことになります。また特にこの28,29節では「彼らが発見された場合」とありますが、これは男性だけが発見されたのではなく、双方の合意の意図である根拠が更に強まります。前文を含めた22−29節までのkjv英文と原文の構成上、連帯責任の際に「彼ら」と表現されていることからも、「彼らが発見された」場合、まさに男女とも合意で婚前交渉に陥ったケースを示していると思われます。

当時の律法では誘惑し婚前交渉し女性の身も心も掌握した男性は、生涯女性を養う責務を追うことに定められています。問答無用で花嫁料金を支払う事になっていましたし、女性の父親が娘を差し出すことを拒否した場合でも花嫁料金に相当する金銀は必ず支払う義務が生じていました。そして、男性側だけが女性を生涯離婚する権利がなく養い続けるべきとする厳しい取り決めも義務付けられています。女性側は、離婚できないとは書いてませんし、女性は父親を通して結婚を破棄することもできますし、離婚もできたでしょう。⇒女性は男性にネグレクトされると無条件で(離婚証書無しで)離縁し再婚もできる

ヨシュア1章9節に「私はもう一度命じる。勇気を出し,強くありなさい。おじけづいたり恐れたりしてはいけない。あなたがどこに行っても,あなたの神ヤフワが共にいる。」とあるように近年のフェミニズム化による男の弱体化は望ましい状態ではありません。上記の律法における表現の意図は、男性側が女性をリードする意味での「タファ」であり、押しが強く女性側がそれに合意したとしても、その後男性側が一生涯面倒を見て守り抜くことが条件として提示されています。

前文では叫ぶつまり声が届かないにしても死を覚悟する程の拒絶をした既成事実があることが男への死刑宣告の条件になっているため、28節からを強引な行為と仮定しても、女性側が生涯における養育か男性の極刑を希望するかに委ねられており、後述しますが祭司の柔軟性や憐れみを含んだ判断が求められる事例を示唆する原語構成となっています。それで、この律法の取り扱いにおいて、色々なケースが生じ得てくると思われますが、次の見出しで調べましょう。

聖書中の強姦へ神の扱い

上記の申命記22章28,29節を処女の強姦の正当化として誤認あるいは意図的に原語のタファを無視してシャザク強制的な行為の蛮行に及んだ中東の野蛮人がいたかもしれません。しかし、実際には聖書中の強姦の記述ではすべて結末は加害者側にとって悲惨なものになっています。

つまり神は強姦を容認しておらず加害者を裁いて死に至らせています。一つ一つ確認しましょう。

まず創世記34章を開いてください。有名な話ですが、シェケムがディナを辱めた(アナ)記録が書かれてあります。これは強姦なのか合意の上での行為か明言できかねますが、シェケムがディナを誘惑し衝動を抑えられないシェケムがディナを掌握しディナも愚行であることを知りつつも身を委ねたとする説が強いです。というのも、タファもシャザクも確認されず、ラカという別の単語で表記されています。

私個人としてはこのシェケムは強引ではあったもののディナに対する思いは本当だったかもしれないので哀れに思います。しかし結局25節を確認してもシェケムはディナの兄弟であるヤコブの息子たちシメオンとレビに殺害されることになります。強姦とまではいかなくとも強引に誘惑し女性を辱めたつまり貞潔を正式な結婚前に喪失させることで、悪い結果を刈り取ることに繋がるケースを描いているのでしょう。これが紛れもなく強姦であるならシェケムは当然の然るべき神からの裁きを受けたと思います。

続いて、士師記のベニヤミン族の強姦事件です。士師記つまり裁き人19章25節をみてください。男たちはそばめをシャザク力づくで強姦したと原文から確認できます。(so tookで表現される英文の箇所がシャザク)そして20章ではとうとうイスラエル中がこのシャザク、力づくで犯したベニヤミン族の蛮行を聞くことになりました。そして怒り狂ったイスラエルたちはヤフワに報復するべきか聞くと、ヤフワはベニヤミン族を攻撃せよと明言されます。

結果としてベニヤミン族は絶滅の危機に瀕し、愚かなイスラエルたちはヤベシュ・ギレアデとシロの娘たちの処女を厳選し妻にしています。この件に関してはヤフワはイスラエルに命令していません。むしろ25節ではイスラエルは自分の目に正しく見えることを行ったと表現されることからこの余計な一連の動きが神に是認されてないことも容易に理解できます。

神は確かに強姦したベニヤミンの蛮行を憎んで報復を命令されたことはこの聖句から理解できます。それ以降の動向に関してはイスラエルの独断ですが、それでもイスラエル中が強姦を悪と認識していることは理解できます。

続いてサムエル第二13章14節のアムノンがタマルをシャザク強制的に犯したケース(and being stronger)です。タマルは譲歩して処女を奪ったアムノンに花嫁料を払い生涯離婚できないつまり一生彼女自身を養う責務を負うべきと主張しましたが、彼は彼女を否定しました。最終的にアムノンはタマルの兄アブサロム、当然ながら父ダビデの怒りを被り悪行の巻いた種を刈り取ることになり、アブサロムによって殺害されました。

このように結婚している婚約している否かに限らず処女の強姦自体が被害者の親族からの憎しみを買い、また然るべき裁きが神によってもたらされたケースが顕著ですし、聖書はそれを悪として描いています。もし申命記22章28節の聖句をレイプ合法化のために正当化してアムノンやベニヤミン族のように蛮行に及ぶなら被害者の遺族から報復され、それ自体が神から斟酌の余地があるとみなされ、加害者は死に絶えることが多くなるでしょう。

結論から言うと、力づくで蛮行に及んだケースでは全員が死んでいると言えます。レイプは聖書中で合法化されていません。

律法にない事例の扱い

勝手に一文の一節だけの律法が独り歩きして強姦が正当化される訳ありませんし、むしろ聖書中ではもれなく強姦の加害者は神の介入で死の裁きを被っているのが確認できます。

また律法では例えば、ひ弱な男性が逆に女性に強姦されたケースの細かな規定は書いてません。そのようなケースは1%未満で起こらないとは思いますが、断定はできませんし、同様に申命記22章28節の聖句も同じく柔軟に臨機応変に裁かれていたでしょう。当時のイスラエルは神がとりわけ肉声で預言者に語りかけて介入することも多く、隠された悪事は超自然的に預言者や指導者たちによって暴かれ正しく裁かれたことでしょう。

被害者が恐怖で声を市内で出せなかったケースでも、申命記22章23節どおりに「声を出さなかったから死刑」とかなりません。偽証した側が断罪されるべきケースは十戒で証明済み(出エジプト記20章9節)ですし、偽証がある難しいケースは指導者を通して神の霊によって裁かれたことでしょう。

それで中東の過激派武装者たちが申命記22章28節をレイプ合法化のために引用して蛮行に及んだならそれは悪であり裁きの対象となるでしょう。

捕虜の処女を丁重に扱う規定

民数記31章14節では聖絶する際に、処女だけ生かしておいてもいいとの条件が確認できます。上の見出しと重複しますが、当時のイスラエル周辺の国家は凄まじいほどに腐敗していました。悪の極みに中に生きる周辺国家は子供を焼いてモレクに捧げることもいとわず感覚麻痺が起きていました。このような国家には一旦神によるリセットがもたらされます。

そして、かろうじて譲歩して処女だけが生かされたケースがあり彼らはイスラエル人の妻となりますが、それでもイスラエルの律法には彼女たちをモノ扱いして虐待していいとは一言も書いておらずむしろ労るように定められてます。

申命記10:18 主は父親のいない子供ややもめが公正な裁きを受けられるようにし,外国人居住者を愛して食物と服を与えます。

申命記24:17  「あなたは,外人居留者や父なし子に対する裁きを曲げてはならない。また,やもめの衣を質に取ってはならない。 18  そしてあなたは,自分がエジプトで奴隷となったことを覚えていなければならない。後にあなたの神ヤフワはあなたをそこから請け戻してくださった。そのためにわたしは,この事を行なうようにと命じているのである。

捕虜となった人や妻たちを虐待して良い訳もあらずむしろ至る箇所において神は外人居留者の叫びを聞くと述べています。そのために万が一虐待する人たちがいたなら、その悪行は被害者たちによって周囲に告げられ最終的に指導者たちの耳に入り、それらはその悪事を公正と憐れみによって裁く責任を負うことになります。

出エジプト記18:21 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。 22平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。25 モーセはイスラエル全体の中から有能な男性を選び,民の長に任命し,千人長,百人長,五十人長,十人長とした。 26 その人たちは,問題が起きると民を裁いた。難しい問題はモーセの所に持っていったが,小さい問題は皆その人たちが裁くのだった。

レビ記 19:15 あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。 16民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。

申命記 16:19 裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。 20ただ正しいことのみを追求しなさい。

申命記 17:8 あなたの町で、流血、もめ事、傷害などの訴えを裁くのが極めて難しいならば、直ちにあなたの神、主が選ばれる場所に上り、 9レビ人である祭司およびその時、任に就いている裁判人のもとに行って尋ねなさい。彼らが判決を告げるであろう。

モーセの死後には指導者ヨシュア、そして霊的に荒れた時代である士師記の際にも裁き人が登場しますし、ソロモン王も聖霊によって導かれている際には正しい裁きを下す廉直な人でした。イスラエル中で法の穴を掻い潜ったような狡猾な犯罪や悪事が横行したり上記にある祭司達が背教した際には、神はその都度敵対国家を利用して裁き国内の預言者を遣わし悔い改めの警告を出していました。つまり神は律法を憐れみと公正の観点から行使することを望んでおられるわけです。

現実問題として什一献金をして罪を犯さない立派な祭司たちはいましたが、彼らは憐れみが欠落しているために律法を一人歩きさせて義を誇りパリサイ人マインドで生きて弱者を労らずに神の目に悪を行っていました。

出エジプト記 22:22 未亡人や孤児につらく当たってはならない。 23少しでもそんなことがあれば、彼らはわたしに助けを求めるだろうし、わたしは必ず彼らを助ける。 24わたしの怒りは燃え上がり、剣であなたがたを殺す。あなたがたの妻が未亡人に、子が孤児になる。

レビ記19:18  隣人に復讐をしたり,恨みを抱いたりしてはならない。仲間を自分自身のように愛さなければならない。私はヤフワである。

エレミヤ22:3  ヤフワはこのように言われた。「公正と義を行なえ。奪い取られている者を,だまし取る者の手から救い出せ。外人居留者,父なし子,やもめを虐待してはならない。[彼らに]暴力を加えてはならない。また,この場所で罪のない血を流してはならない。 4  もしあなた方がこの言葉を必ず行なうなら,ダビデのためにその王座に座す王たちもまた,彼がその僕たちや民と共に,兵車や馬に乗って,この家の門を通って必ず入って来るであろう」』。5  「『しかし,もしあなた方がこれらの言葉に従わないなら,わたしは自分自身にかけて誓う』と,ヤフワはお告げになる,『この家はただの荒れ廃れた所となる』。

イザヤ1:15  あなたたちが両手を広げて祈る時,私は目を覆う。 あなたたちが多くの祈りを捧げても,私は聞いていない。 あなたたちの手は血にまみれている。 16  体を洗い,自分を清めなさい。 もう私の前で悪いことをしてはならない。 悪を行うのをやめなさい。 17  善を行うことを学び,公正に裁き, 虐げる人を正し, 父親のいない子供の権利を守り, やもめの言い分を弁護しなさい」。 

ミカ書 3:11 頭たちは賄賂を取って裁判をし 祭司たちは代価を取って教え 預言者たちは金を取って託宣を告げる。 しかも主を頼りにして言う。 「主が我らの中におられるではないか 災いが我々に及ぶことはない」と。 12それゆえ、お前たちのゆえに シオンは耕されて畑となり エルサレムは石塚に変わり 神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる。

隣人を愛する掟や公正、憐れみの行使が、申命記22章28節の律法によって無効になる訳もなく、その掟こそモーセ五書のすべての中で最も重視されるべき部分でしたが、これを履き違えた律法主義者たちは律法の一文を一人歩きさせて義認されると勘違いして、その勘違いの極めつけとしてイエスを磔にするレベルにまで達していたのです。

モーセの律法は強いては神が強情なイスラエルが律法によって死刑を被らないように譲歩して作成したと言われるほどです 。

マルコ10:5 しかしイエスは言った。「モーセはあなた方の頑固さを考えて,そのおきてを書きました。

外人居留者や捕虜で妻となった人たちの生活は保証されています。それで彼女たちは子供に恵まれ女性としての生きる喜びを当時のイスラエル人同様に味わう事ができたでしょう。

律法の背後にある精神と救い

律法が全てではなく、律法の背後にある精神こそが最も大事であり、その精神状態、霊的状態で人は義人と神から是認されることはイエスの父ヨセフのケースをみても顕著です。律法では姦淫は死罪となりましたが、神は結局姦淫した人たちを石打にしろと律法作成されたものの、ヨセフが処女マリアを生かした動機を義と是認しています。ヨセフはマリアが姦淫で妊娠したと勘違いしました。彼は彼女を静かに離縁して生かそうとしたのですが、その取り計らいを聖書は「彼は義にかなった人なのでマリアを去らせようとした」と表現してます。(マタイ1:19)

ホセア書でも姦淫した女性をまた妻に迎えろとホセアに神は命令してますし、つまるところ律法で悪事を働く人を殺せと書いているものの、イスラエルが罪を犯せど即座に死刑執行は遂行されていませんでした。(ホセア3章)つまり、律法で規定されている死刑に該当するすべての罪はキリストの贖いにより赦されるというのがキリスト教の根幹であります。

律法に背いて死刑執行されたケースが有っても、彼らは罪の報いを受けて眠りの安息にあり将来復活します。福音書の最大テーマは、死刑に該当する罪を犯した人々よりも律法を事細かに守っていても他人の事情を考慮できず正しく適用できずその使い方を誤り憐みと公平の感覚を失い邪悪な存在となり得ることの警告と断罪です。

毒麦と雑草なる悪徳クリスチャンは最後までしぶとく生き残り、一方で死を被った犠牲者たちは例外なくパラダイスに復活する見込みがあります。キリストを知らずに律法違反で死を被った人たち、シェケム、アムノン、アブサロム、士師記のベニヤミン族たちも結局は不義者として復活しキリストの贖いを学ぶことになるでしょう。

一方で毒麦雑草はサタンと同じく最後までしぶとく生き残り神に祝福されているかのように映えるでしょう。これら邪悪な人たちは最後まで偽善的にしぶとく生き残り多くを背教させる役目をサタンと同じく担うことになるのでイエスの最臨時まで生き残ることになります。


今までの要点は、
  • 力づくでの蛮行シャザクと捕らえたタファの原語における意味が違う
  • 聖書中の強姦事例は加害者が裁かれている
  • 難しい大問題(律法の事例にないケース)は指導者のもとへ提出され裁かれる
  • 律法の隣人を愛するが最も重要で永遠に無効にならない
  • 律法違反で死の裁きを被った人たちも復活する
と言えます。

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Jと申します。皆さんご自身で参考程度にされてください。 googleに2026年8月29日の時点でindexにしましたが、検索エンジンに暫くヒットはしないかと思います。コメントを各自個人情報に留意されながら書き込みください。グーグルアカウントにログインした状態で書きこむと自分で後々削除できるので推奨します。そうでない場合に削除したいと感じられた際に言って下されば仰せの通りに致します👍

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