外典第二エズラ記における携挙の解釈と律法主義の罠

2021/06/28

携挙 信仰と行い

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近年のツイッター民たちはモーセの律法が廃止されていないと騒いでいます。このブームは教祖系アメブロガーによって蔓延したのではないかと私は推測していますが、それらの人たちが参考とした教えの出どころはどこなのか少し調べてみたいと思います。

海外のyoutuber牧師のbrother yarashalam

brother yarashalam、ブラザーヤラシャラムと呼ばれる宣教師が2016年多分この時期に大ブームを引き起こして律法を完全に守らずしてキリスト者は救われないと教え始めました。

そのコンテンツの中にはとても勉強になるものもあります。例えば、rapture deception、いわゆる携挙の嘘と題する動画では17,18世紀あたりに1611kjvから第二エズラ記が正典から除外されて艱難前携挙が確立された経緯を説明してくれています。

例えば以下の聖句な終末思想の預言と言われていますので、掲載します。

第二エズラ記13:15 今、また、わたしにこの夢の解き明かしをしてください。 16わたしが思いますには、その日まで残された人々は不幸ですが、残されなかった人々はもっと不幸です。 17-18残されなかった人々は、終わりの日に備えられているものを知りながら、それに達しえないと分かって悲しみを味わうからです。

この聖句は有名なマタイ24章40節からの携挙として知られる有名な箇所についての描写と推測されています。一般教会では取り上げられるものは幸いであり、取り残されるものは不幸だと教えられますが、この第二エズラ記によると「取り上げられた」の意味における「地上に残らざるもの」 はもっと災いだと述べられています。

マタイ24:40  その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は残されるのです。 41  二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は残されるのです。 42  それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。

ヤラシャラム牧師はこの部分を第二エズラ記を引用して解釈して、「取り残されるもの」が幸いであり、神の裁きを免れた人だと解釈しているようです。確かに原文を確認しても連れて行かれる人たちが天国へ携挙されるとは一言も書いていません。しかし、だからといって「取り残される人たちが神から救われた人だ」と断言も自分的には今の所できません。というのも第二エズラ記を網羅して読んだわけではございませんので。

続く節も掲載します。

18 しかし残された人々も、 19不幸なのです。というのも、この夢が示しているように、大きな危険と多くの苦しみに遭うのですから。 20それでも、雲のようにこの世から去って行き、終わりの日に起こることを見ないよりは、危険に遭いながらも、終わりの日に至る方が、まだましです。」 主はお答えになった。 21「幻の解き明かしをしよう。また、あなたが話したことについても明らかにしよう。 22あなたは残された人々と、残されなかった人々について語ったが、それを解き明かせばこのようになる。 23その時に危険をもたらす方こそ、危険に陥る人々を守り、彼らは全能者のために働き、信仰を保つ者となるだろう。 24だから、死んだ人々より、残された人々の方が、はるかに幸せであることを知るがよい。

20節わかりにくいけど、要は「あなたが雲のように過ぎ去ってしまうことはなく、危険な終わりの苦難の時を必ず目にするよ」と述べているわけです。大艱難の時を目の当たりにすることになる、艱難前に天国へ雲のように引き上げられることはありませんということを述べているようです。

そして、この23節に「善き業と信仰」によって生きた人々が神によって最終的に守られるとあります。これはいわゆる「隣人への愛」をモットーにしたキリストの律法、自己犠牲愛による善良な生き方をした人類が大群衆として保護を得ることの意味と解釈しています。 

ほんで、この24節の地上に残された人間は幸いなる者たちであると述べられていますね。要は天国への携挙として解釈される福音書の「取り上げられる」人たちは神によって打ち倒され滅ぼされる人たちであり、「取り残される」人々が幸いなるいわゆる神によって祝福される大群衆のようです。(あくまで第二エズラ記を引用した解釈)

取り上げられるというギリシャ語は元来ヘブル語かアラム語で書かれたと推測されますが、滅ぼされるを意味する原語だとヤラシャラムを含めた一部の神学の改革者は考えているようです。

テサロニケ第一4:17  その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです。

ヤラシャラムの解釈ではこの箇所は裁かれ荒廃とした地上で生き残ってるクリスチャンたちが空中に引き上げられると解釈されています。 

こんな感じのことを教えているブラザーヤラシャラムなんですが、2016年あたりにかなりの支持を集めていたようです。しかし、彼はいつのまにか「信仰を捨てた」と噂されてますし、引退して農業してのんびり暮らしているようです。

実際のところはわかりませんが、上記の記事では海軍の訓練時において頭部に何か武具が落下して脳を損傷して牧師を引退せざるを得なかったと言われたりもしてますが、ちょっと謎です。あまり彼を詮索して面白がるのも不謹慎ですからやめるべきかもですが、彼は今は一風変わって自分を「農業の神だぜーいぇーい」のノリで容易に神という単語を使用したり完全に信仰を捨てたようにも思えます。

このヤラシャラムがとんでもない解釈をしてるのですが、上記の「善き業と信仰」を旧約の律法だと言い張るのです。安息日やその他諸々の食事規定や細かい律法規定を字義通り守ることで神から救ってもらえると教えてます。

言い分として日曜礼拝が太陽礼拝であること、クリスマスやイースターが異教であること、パウロの手紙を曲解するなとペテロは進言してるからイエスや直弟子の言うことを聞くべし、パウロは異邦人を信者にするべく律法は無効だと述べて彼らを取り込むために巧みな話術を用いた、黒人こそ古代イスラエルの民族でありイエス・キリストは黒人だとする説などを聖句を使って教え始めて多くの黒人系の人たちが彼を支持してその教えに虜にされていたのです。しかもこのヤラシャラムは「パウロが信仰によって救われると述べたのは、神からのテストだ。神は人々が律法を守るのかそれともパウロの言葉によって律法を蔑ろにしてしまうのか、それを天からみているんだ。神はテストが好きだから、いつも我々はテストされてるよ。パウロの手紙を曲解して読むなとペテロは注意してるやろ」とか言い出す始末です。

例えば、こちらの動画で独特なヤラシャラムの自説が述べられています。

しかし、こやつの自説である信仰と業による救いが旧約の細かい規定まで全て守ることで得られるとかパウロが神からのテストだとかの解釈は行き過ぎです。これを真似る人がアメブロやツイッターに蔓延しています。某アメブロ教祖はパウロの手紙を曲解する人間がおるからパウロの手紙よりもイエスの言葉を読めとか言うてると思います。

この信仰と業とはキリストの律法、アガペー(隣人への優しさ)のことを述べているわけであって、旧約の規定を自己保身で遵守して人々を無下にしたり蔑んだり自分を誇示して選民思想のエリート意識で生きるならパリサイ人になって本末転倒になるわけです。

律法を守るのは良いことですが、隣人愛や自己犠牲愛を重視して弱者救済を一番人生における重要事項とするべきです。これが旧約聖書でも新約聖書でも一貫して神から要求されていたことです。自己保身で資産を有しながら安全圏に隠れて律法を遵守してもイエスから不法もの離れされと言われるだけです。

旧約の神の怒りの引き金は弱者救済を怠って律法遵守を誇示して平安を偽予言して自分勝手に生きてる人たちが多いことです。別に律法を自己保身で遵守してないから怒られるよりも、現代クリスチャンと同じく弱者救済を怠ったから、物資供給もせずに弱者を蔑ろにして平安を偽予言して遊びまくって律法主義を誇示しているからヤフワに聖絶されるわけです。要は旧約時代からいちばん大事なのは隣人愛や憐れみや優しさでそれは永遠に無効にならへんのです。それをキリストが体現して律法の一点一画残らず確立されたわけです。

ヤラシャラムのお弟子さんたちが偽教理を広める

ブラザーヤラシャラムの教えはいくつかの真実を含んでおり現代教会の神学における誤りを浮き彫りにするので斬新で引き込まれますが、少し冷静になって新約聖書のキリストの律法における観点で第二エズラ記の「信仰と業」が何を意味するのか考えるべきです。

ヤラシャラムを含めてもっと悪化すると、パウロが偽使徒だと言う人達も海外ではいるほどです。パウロは神の律法を破って信仰だけで救われると教えたローマ帝国の工作員でありキリスト教を腐敗させた人物だ、イルミナティはパウロを使ったんだ、モーセ5書は神聖な神の掟の集大成であり決して破棄されない、パウロはイエスを幻でみたというがインチキだとかこんなこと言う人も結構海外ではおられます。paul is a falseとかで検索されてください。

パウロの手紙を曲解して身に滅びを招くとは「信仰で救われたから贅沢して過ごそう、早いもんがちや、イエス知った俺私はついてる」みたいなツイッター民たちに顕著な選民思想に惑わされて自分を欺いて神を利用する生き方のことを意味しています。

ユダ 4  その理由は,聖書によりずっと以前からこの裁きに定められていたある人々が忍び込み,[その]不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え,わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっているからです。

ここで旧約時代の聖句をたくさん引用したユダも警告してるように、要はクリスチャンなったら永遠に救われたから遊ぼうとか金稼ぎしながら豪邸有しながら生きようというその邪悪な偽善的な生き方が非難されているわけであって、何もモーセ5書のトーラーの細かな規定を無視した生き方のことを述べているわけではありません。ヤラシャラムのお弟子さんで海外の若手の人がモーセ五書は完全に今も有効やとか言って伝道したりその考えは結構多くにインパクトを与えて改宗する人たちが増えてます。 

ですから、第二エズラ記によって艱難前携挙の間違いも認識できるし、それを解説してくれるブラザーヤラシャラムは賢いように思えなくもないですが、要注意です。誰しもが解釈ミスは必ずあります。ですから、その聖句が何を意味しているのか理解するためには聖書全体に精通する必要があります。

湿ったるい陰険な選民思想と攻撃性と右翼思想とキリスト教を絡めて神を利用するのはやめるべきでしょう。

こんな感じで皆さん、律法主義の形骸化に陥る人たちがどこから学んで情報を得ているか、少し冷静になって考えてみることをおすすめします。またそれら教祖系の人たちを無下にすることなく、彼らからも良い情報は流れてくるわけですから、自分で取捨選択して鵜呑みにせず洗脳されずに生きてください。

※あくまで第二エズラ記を福音書の携挙の描写に照合させたヤラシャラムの解釈を書き連ねただけですから、絶対視されないでください。ワテは「取り残される」が生き残る人でもそうでなく既存の教理のように「取り上げられる」が天国へ携挙される人であっても特に自分の中で大きな教理変更はありません。一応皆さんも目を通してなぜ律法主義が今ネットで流行っているのか考えられてください。

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