7つの燭台と24人の長老
啓示1章20節にて「七つの星」が御使い、「七つの燭台」が七つの教会であると表現されています。12節では「燭台の中央に人の子イエスがおり」とあり、2章1節では「七つの燭台の間を歩く方」と表現される通り、イエスの周りを七つの燭台が囲っている状況が読み取れます。
エフェソス2:6 そして、キリストと共に、私たちを墓の中から栄光へと引き上げ、キリストと共に席に着かせてくださいました。
そして、3章1節ではイエスが七つの霊と七つの星を持っていると言われています。4章4,5節にてイエスの周りに1章で人の子のなる彼を七つの燭台が囲っているように24人の長老が座っているとあります。七つの灯火が5節では、7つの霊つまり聖霊であると表現されていますので、七つの燭台なる会衆に派遣された聖霊であり、それぞれ別の実体です。5章6節では、「長老たちの間に子羊が立っている」と表現される通り、1章12節と2章1節における「人の子なるイエスは燭台に囲まれて中央にいて、その燭台の間を歩く方」の表現と重なります。
屠られた子羊の「七つの角」ですが、角は出エジプト記27章2節、30章10節の犠牲の祭壇に取り付けられているので完全な贖いを示します。あるいは角は多くの場合,力もしくは権威の象徴で,七は完全性を示唆しましたので、犠牲の子羊の全権を象徴しています。(サムエル第一 2:1,10; 詩編 112:9; 148:14と比較してください。)七つの角は完全な贖いと全権、24人の長老は七つの会衆から買い取られた死に至るまで忠実であった真のクリスチャンを意味するのでしょう。また全てを把握し警告する「七つの目なる七つの霊」、つまり聖霊が燭台を灯す火として描かれているので、24人の長老たちが絶えず灯火が消えないように油を絶やすことがなかったので天での王座を与えられることを象徴しているのでしょう。
使徒ヨハネは神の天のみ座に関する幻を見ました。そのみ座は24の座に囲まれており,それらの座には白い外衣をまとい,頭に黄金の冠を頂いた24人の長老が座っていました。(啓 4:1-4)幻が続いてゆくうちに,ヨハネは24人の長老が神のみ座の前で幾度もひれ伏して崇拝するだけでなく,幻が進展するにつれてその様々な特異な場面に加わる様子を見ました。(啓 4:9-11; 5:4-14; 7:9-17; 14:3; 19:4)とりわけ,彼らが王国に関する布告に加わって,エホバが大いなる力を執り,王として支配し始められたという趣旨のことを述べている様子が見えました。―啓 11:15-18。
古代イスラエルでは,「イスラエルの年長者たち[長老たち]」が国民全体を代表し,彼らに代わって話しました。(出 3:16,18; 19:7)現在では,油そそがれたクリスチャンの会衆全体が霊的イスラエルの「聖なる国民」を形成しています。そしてクリスチャンの「年長者たち」もしくは「長老たち」はその「国民」全体を表わす,または象徴します。(ペテロ前 2:9,新)同様に,「長老たち」は霊的なイスラエルの会衆全体を表わしている,もしくは代表しているのでしょう。ですから,神の周りの座に座している24人の長老は恐らく,死に至るまで忠実であることを証明し,天的な復活にあずかって神のみ座の近くの座に座るという約束された報いを受ける,油そそがれたクリスチャンの一団全体を表わしていると思われます。(啓 3:21)また,24という数にも意味深いものがあります。24という数字は,ヨハネに,ダビデ王が神殿での奉仕のために設けた24組の祭司を思い出させたでしょう。(歴代上 24:4)―ペテ一 2:9; 代一 24:1-19; ルカ 1:5-23,57-66; 啓 20:6。「監督」を参照。
2つのギリシャ語写本の比較
KJV啓示5:9のblueletter ESV啓示5:9のblueletter
啓示4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
啓示5:9 そして長老たちは次のような新しい歌を歌っている。「あなたは巻物を受け取ってその封印を解くのにふさわしい方です。あなたはほふられ,自分の血で,あらゆる民族や言語や種族や国の人々の中から,神に仕える人々(TR写本では「私達」と訳されるヘマスが挿入)を買い取ったからです。 10 そして彼らを(SBLシナイ写本ではアウトス、TR写本ではヘマス),私たちの(シナイ写本ではエゴ、TR写本ではヘマス)神に仕える王および祭司とし,彼らは(前文の主語を受け継ぐ、シナイ写本では「彼ら」、TR写本では「私達は」)王として地上を治めます」。
啓示14:3 シオンの山に子羊と共にいる十四万四千人の者たちは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。
二人の証人
ゼカリヤ4:11 その後わたしは答えて彼に言った,「燭台の右側と左側にあるこれら二本のオリーブの木にはどんな意味があるのでしょうか」。12 それからわたしはもう一度答えて彼に言った,「あのオリーブの小枝二束,すなわち二本の黄金の管でその中から黄金の[液]を注ぎ出しているものは何ですか」。 13 すると彼は言った,「これら[の物]にどんな意味があるか,あなたは本当に知らないのか」。 それに対してわたしは言った,「知りません,我が主よ」。 14 すると彼はこう言った,「これらは,全地の主の傍らに立つ二人の油そそがれた者たちである」。
24という比較的少数の数字においても同様でしょう。世界中の国家から贖われ買い取られるわけであり、たった24の国家から選抜されたわけではありません。これは文字通り24人の長老ではなく、世界中の人たちで144000人に限定されているわけではないでしょう。24人の長老なる不特定多数で構成されたクリスチャン、144000人なる有限数で示される霊的イスラエルのクリスチャンが同時進行で存在します。啓示の書で24人の長老が証印を押される、初穂と表現されていないとはいえ、彼らは天で祭司として王座に就いてるわけですから聖霊を受けていると考えられます。144000人のそれらの表現は、⇨格別の復活クラスとしてのものと考えられます。



24人の長老は14400人で間違い無いと思います。
返信削除その根拠として挙げられるのは、「他に誰も知らない新しい歌を歌う」「王冠を頂いている」とう2つのキーワードによります。
み使いたちに王冠(支配権)が与えられるという記述は皆無ですから、天に存在する彼らは、144000人しか当てはまらないでしょう。
「初穂として人類の中から買い取った者たち」ということはつまり、地から天に買い取れれた人々の初穂です。
初穂とは、単に取り分けられた一部ではなく、時間的に優位にあるということですから、「24人の長老は地上のクリスチャンの将来における天での霊的な象徴的な姿」という表現ですと、その全員が臨在時に一斉に挙げられる「第一の復活」に預かることになるので、「初穂」と言える根拠がないように思えます。
やはり全クリスチャンのうち、イスラエル12部族からなる144000人だけが、「第一の復活」に先立って復活するのでしょう。
この点についての詳細は、下記記事をお読みください。
89 「世の終わり」の開始直前に地上で見られる出来事 パート1
http://yoberu-t.com/pdf/89tennnosensou_part1.pdf
そしてこれを裏付けるもう一つの点として、「第一の復活」に預かる人々は「天」にではなく「天国」(天の王国)に迎えられることになっているので、この点も、明らかに「天」そのものにいる144000人とは異なっています。
この点についての詳細は、下記記事をお読みください。
「天国」は未だ存在していないという聖書的根拠
https://note.com/yoberu/n/n81f94ab3ced6
byヨベルの角笛
こんばんは
返信削除記事中の最後の1行が分かりにくかったかも知れませんが、「第5の封印の時点で復活、ではなく、つぎの聖句そのものが、1444000人の初穂としての復活だということです。
「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちが立てた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわた
したちの血の復讐をなさらないのですか。」
すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。」(黙示録 6:9-11
記事2ページ頭に「従ってそれは、明らかに、患難期が始まる前のタイミングで復活する、と捉えるのが論理的でしょう。」とあるように、第5封印=第5ラッパ=患難期勃発の合図=前半の1260日の開始直前=144000人に証印が押される=「女」が産んだ「子」がみ座のもとに挙げられた=復活
それを契機に、天での戦争、サタンの放逐、患難の始まり
という構図です。
ヨベルの角笛
コメント書き直します。ヨベルさん、24人の長老と144000人は全く別です。別の実体だからこそ14章3節にて各々互いに向き合っているわけです。燭台の中から贖われて買い取られて天のみ座を獲得した人たちが24人の長老です。
返信削除またあらゆるクリスチャンの中からさらに厳選された人たちの総数が144000人であり、こちらは有限数です。ヨベルさんの解釈ではイスラエルは血統であるとなっていますので、余計にそうならざるを得ません。ぼくはイスラエルはクリスチャンを意味するので、霊的イスラエルと解釈しており、つまりクリスチャンの中からさらに選り分けられた特別クラスが144000人であり限定数と理解しています。
前から不思議だったのが、144000人は明らかに有限数なのに、でもそうなると殆どが天的クラスになれないではないかと感じても塔の考えはこの点で正しいのではないかとすら考えていました。しかし気づきました。シンプルにあらゆる国籍と部族から買い取られた24人の長老とイスラエル12部族から買い取られた1440000人は別の実体であり、だからこそ向かい合っています。啓示の書にイエスとミカエルが向かい合う様子など描かれてませんし、同じ実体同士が向かい合うことはあり得ません。むしろ向かい合う事実は啓示の書が24人の長老と144000人が別であることを物語っています。
そして24人の長老はあらゆる国籍から買い取られた人たちですし、二人の証人が2つの燭台であることからも文字通り24人の長老ではないことが容易に想像できます。144000人は格別の復活クラスで間違いありませんが、24人の長老はスタンダードな殉教者たちで第一の復活にあずかる勝利者でしょう。
大群衆に関しては王座に座ってないし、目の前にいるわけなので、柔和な義人たちで救われた後にキリスト知って命の水を飲んで永遠の命の保証を受けた人でしょう。