堕天使と解釈する場合
さらに動物を生かしている霊,つまり生命力と,人間を生かしている霊との間には,何ら相違はありません。伝道の書 3章19節(新)はこう述べています。「人の子に関して終局があり,獣に関しても終局がある。そして彼らは同じ終局に遭う。一方が死ぬように他方も死ぬ。そして彼らは皆ただ一つの霊を持っているにすぎ(ない)」。
このように,聖書は全地球的な洪水の際に滅んだ人々が,「獄にある霊たち」であるとは述べていません。ですから,これらの獄に入れられた霊たちの正体に関する手掛かりを,人間の領域以外のところに求めなければなりません。聖書の創世記はそうすることを可能にしてくれます。そこには,「真の神の子たち」つまりみ使いたちのある者が,ノアの日に行なったことが述べられているからです。こう記されています。「人が地のおもてにふえ始めて,娘たちが彼らに生れた時,神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て,自分の好む者を妻にめとった。そのころ,またその後にも,地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって,娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり,有名な人々であった」― 創世 6:1,2,4,口。
夫として女と共に生活することを始めたみ使いである神の子たちは,自分たちの創造された目的に反する行動をしていました。彼らはまた,聖なる天における奉仕の割当てに対しても不忠実であることを示しました。この重大な違反のために,彼らは罰を受けました。聖書はこう述べています。「神[は],罪を犯したみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密なやみの穴に引き渡された」― ペテロ第二 2:4。
ですから,「獄にある霊たち」とは,不従順なみ使いたちのことです。全地球的な洪水が始まった時,それらのみ使いは,それまで用いていた人間としての体を非物質化したに違いありません。しかしエホバ神は,彼らが地に来る際に見捨ててしまった天における地位に再び就くことを,許しませんでした。神は,それらの者たちを拘束しました。霊者である彼らは,タルタロスに幽閉されました。そうした監禁状態にあるため,再び人間として化肉し,夫として女と共に生活することができなくなりました。―ユダ 6。
啓示20章7節では、サタンが千年間獄に閉じ込められる記述がありますが、この「獄」は「捕らわれ、獄」と全く同じ原語が使用されています。20章3節にてサタンが封じ込められる場所は「アビス」と表現されますが、7節ではサタンは「フィラケ」から出てくるとあるので、言い回しが違えどどちらも同じ場所を意味しています。啓示9章1節には、アビスに閉じ込められていた悪霊が出てくるとあるので、要は、アビスはフィラケの別の表現であることが明白です。
よくキリストは霊魂不滅なので死後3日の間にアビス、フィラケに訪れたとか言う人がいますが、原語の「霊において生かされ」の箇所は、コリント第一15章45節の「ゾアポエイオ」、「最後のアダムは命を与える霊となった」で使用されているので、キリストが死後にいきなり何か意識のある亡霊となったわではなく、霊者として復活した後に活動なさっていたことがわかります。
キリストは死後3日目に霊者として復活されて、その時にアビス、フィラケ、タルタロスへ訪れて贖いが成し遂げられた事実を目視できなかった捕らわれている堕天使たちへ裁きを布告したと解釈します。
ノアの時代に人間や堕天使たちに伝道した
新約聖書中で人に対して「霊」と表現される箇所は、ヘブライ12章23節の「またあなたがたは、天に登録されている人たちの教会、すべてをさばく神、すでに完全なものとされて天にいる、救われた者たちの霊に近づいているのです。」でしか用いられていません。義人たちの霊があるなら、不義者の霊もあり、それらがマタイ18章30節の同じギリシャ語が使用されている隣人に情け容赦無く振る舞った人が捕らわれる「獄」に閉じ込められたと解釈します。
また上記の見出しで述べましたように、死者の霊魂に意識があるわけでもありませんので、3日間の死の眠りについているはずのイエスが霊となって、死者の霊魂がいるシェオルに赴いたと解釈することも無理があります。ですから、可能性としては、ノアの時代にイエスがミカエルとして、今シェオルに捕らわれている「霊たち」に過去において伝道したと解釈することもできます。
その今捕らわれている霊者たちの実体が、堕天使にせよノアの時代の人間たちにせよ、過去において、イエスことミカエルが直接それらに伝道し働きかけたとも読み取れます。エフェソス2章17節では、「(天国にいる)キリストが来て、平和の良い知らせを伝えました」とあるように、霊者としてのキリストが過去から常に人類に働きかけていることは容易に理解できます。またノアはペテロ第ニ2章5節で、「義の伝道者」とも表現されているので、ネフィリムが蔓延する危険な時代にあって、ミカエルがノアを保護しながら協働して人類に裁きの音信を触れ告げたとも推測できます。
そして、結果として八人が「魂」として救われましたが、対して不従順な人たちは滅んだ当時から今に至るまで「霊」として「捕らわれている」と解釈することもできます。エノク書22章には、死者の霊魂が収納される受け皿が4つあり、意識があるかのように説明されていますが、それは明らかに比喩表現ですし、文字通り意識があって誰がどの基準で救われるのかも明確にされておらず、死者の霊魂が意識があって音信を聞いて救われたとする解釈は無理があると言えます。
よって、ノアの時代にミカエルが今捕らわれているが当時活発だった人間や堕天使の霊者たちへ裁きの警告を触れ告げたと解釈するのが、理論的な解釈候補として挙げられます。
復活後に意識有無の霊魂へ布告するのか
ウィキペディアを引用すると、偽典とされるペトロの福音書では、2人の天使に支えられた(たぶん)イエス・キリストが墓から出てくる後から、十字架が付いてくる。天からの声「あなたは、(冥府で)眠っている人々にも宣教しましたか」に、十字架が「はい」と答える創作話のような記述があります。眠っている人々とあるので、やはり非現実が混在した偽典においてすら霊魂は意識が無いのがデフォルトでしょうが、呼び覚まされるケースがあることを物語っているようです。3日目にシェオルで復活したイエスが彼らに宣教したと考えられます。でも、このペトロの福音はおかしなこと「私の力よなぜ私を見捨てるのか」とか「吸い葡萄酒を口にしなかった、既に痛み等感じていなかったからだ」とかおかしな様相が書かれており、改ざんされまくっているので当てになりません。イエスが受肉しておらず霊者のままで贖いを成し遂げたと仮定する仮現説グノーシス主義の思想が強い書簡であり、ペテロの秘書であったマルコが要約した福音書にこの事例が描かれていないことから、あまり参考にはできないと考えられます。


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