ヨハネ2章の解説、最良のぶどう酒と3日で立て直す神殿の意味

2020/12/21

偽キリスト教 携挙

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本稿ではヨハネによる福音書2章を取り上げます。同章では、イエスがガリラヤの婚礼の席において、水瓶の水をぶどう酒へと変えた奇跡が記述されています。

ヨハネ2:10「これは極上のぶどう酒じゃないですか。あなたはすばらしい方だ。たいていどこの家でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわって味がわからなくなると、安物でごまかすものです。ところがあなたは、一番上等なものを、最後まで取っておかれたのですから。」

ここで提示される「ぶどう酒」は、キリストが将来流されることになる「契約の血」を神学的に象徴しています(コリント第一11:25)。

10節の記述は、イエスが「最上質のぶどう酒を惜しみなく提供した」事実を示しています。

現代の飲食業界におけるバイキング(ビュッフェ)形式を例にとると、通例、初期段階で上質な食材(肉など)を提供し、時間の経過とともにコストパフォーマンスの調整や自己保身の観点から、質を落とした食材を提示する傾向が見られます。

しかし10節に記されているように、イエスは出席者が酒に酔い、味覚が麻痺しているような状況であってもなお、最上のぶどう酒を差し出しました。ここにおける「酒に酔った状態」とは罪人の霊的状況を象徴しており、神が「私たちがまだ罪人であった時に、御子イエスを代価として差し出された」という救済史的事実、すなわち人類に対する最良の贖いの具現化であると解釈できます。

ローマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

終盤に至って最上のぶどう酒を供するイエスの姿は、その大いなる憐れみを表しており、キリストを知らない罪人が生涯の最終段階において悔い改めたとしても、等しく救い・恩寵が与えられることを示唆しています。

マタイ20:16 ように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」

このように最善のものを無条件で提供するイエス・キリストですが、その一方で、不純な動機をもって神殿を商業化する偽善者に対しては、極めて厳格かつ峻烈な行動をとっています。

ヨハネ2:14 宮の境内には、供え物用の牛や羊、鳩を売る商人たちと、座って両替をしている人たちがいました。 15それを見て、イエスはなわでむちを作り、商売人たちをみな追い出し、鳩や羊や牛を追い散らし始めました。次々に両替人の台をひっくり返したので、お金があたり一面に散らばりました。 16イエスは鳩を売る者たちに、「それを持って出て行きなさい。父の家を金もうけの場所にしてはいけません」と言われました。

当時、人々は聖なる神殿を世俗的な利得の場としていましたが、イエスが義憤に駆られて両替人の台を覆した記述は、「福音を手段化して商業的利益を得ようとする行為」を一切容赦しないという神の意志の現れです。これは現代における、過度な寄付の要請や現世利益(祝福)を条件に金員を要求するテレビ伝道師などの欺瞞的行為と同質であると言えます。

キリストは将来、このような偽善的構造を持つ教会組織を審判されることが示されています。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」という言葉の本質はここにあります。したがって、御言葉の伝道において商業主義的な利益追求を行うことは厳に慎むべきと考えられます。「ただで受けたのだから、ただで与えよ」という大原則に照らし、ブログへの広告掲載やYouTubeの収益化を伴う形での宣教活動が神の御旨に適うか否かは、読者諸賢が自らの良心と思索によって判断されるべき事柄です。

終末において、拝金主義に傾倒したバビロン的教会組織は、キリストによる審判と破滅を免得ません。

黙示録3:1 サルデスにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、神の七つの霊と七つの星を持つ方からのものです。「あなたは生き生きした活動的な教会だと言われていますが、実は死んだ状態にあることを、わたしは知っています。 2だから目を覚ましなさい。死の一歩手前まで来ている、残された者たちを力づけなさい。あなたの今までの行いは、どう見ても、神の前に正しくありません。 3最初に聞いたこと、また、信じたことを思い出しなさい。それをしっかり守って、もう一度、わたしに心を向けなさい。さもないと、わたしは盗人のように、思いがけない時にあなたを襲って、罰します。

また、イエスが「神殿を3日で建て直す」と宣言された言葉は、ご自身の肉体の死と「将来の復活」を予徴しています。すなわち、物質的な建造物から「キリスト者の身体」へと神殿の概念が移行すること、ひいては信徒の身体が「聖霊の宮」となることを既に預言されていたのです。

イエスは昇天後、ご自身を信じるすべての者に聖霊を注がれました。これは婚礼の席でぶどう酒が惜しみなく分配されたことと軌を一にしており、信徒個々の身体が聖霊の内住する「神の宮(神殿)」として機能することを意味します。

ヨハネ4:21「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。」

コリント第一6:19−20 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買い取られたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

現代の一般的な教会組織の多くは、地上のエルサレムに「第三神殿」が再建されることで神の統治が開始されるという言説を信奉していますが、これはキリストのメシア性を拒絶する偽りのユダヤ主義的言説(あるいは特定の特権階級)の理想郷にすぎず、多くのクリスチャンがこの言説を盲信する現状は極めて危機的状況と言わざるを得ません。

ヨハネ2章後半において、「多くの者が奇跡を見てイエスを信じたが、イエスは彼らをご自身に委ねられなかった(信頼されなかった)。なぜなら、人間の内実を知っておられたからである」と記述されています。これは、外面的な国際情勢やエルサレムの動向、あるいは「大艱難前携挙」といった終末論的言説のみを消費し、本質的な信仰を欠く人々の頑なな心性を見抜かれていることに他なりません。

ヨハネ2:23 過越の祭りの時、イエスがエルサレムで奇跡を行われたので、多くの人が、「この方は確かにメシヤだ」と信じるようになりました。 24-25しかしイエスは、そういう人々を信用されたわけではありません。人間がどれほど変わりやすいものかを知り尽くしておられたからです。

これらの人々は自己の信仰を確信しているものの、自らの肉的な願望や関心を優先させるがゆえに、聖書解釈において決定的な誤謬(エラー)を犯しています。これは真の信仰ではなく、肉の思いに起因する不完全性の発露です。

彼らは、キリストご自身およびキリスト者が「真の神殿」であるという新約のパラダイムを看過し、エルサレムに物質的な神殿が再建され、そこに反キリストが出現するというシナリオを待望し、それ以前に携挙されるという独善的な教理によって惑わされています。

イエスはこのような人間の知的・霊的な愚盲さを完全に見抜いておられます。すべての者が心理的に「真理」を愛しているわけではなく、初代の弟子たちのように命を賭してキリストを愛し、殉教の器となり得る人物が極めて限定的であることをご存知なのです。

真正なクリスチャンは、ユダヤ教的エスタブリッシュメントによる第三神殿再建思想を支持することはありませんし、新世界秩序(グローバリズム)の構築に加担することもありません。「世を愛する者は、御父の愛がその内にない」とある通り、イエスが「わたしの国はこの世のものではない」と断言された以上、地上の地政学的なエルサレムや、血統的・肉的な偽ユダヤ人を神が特別視されることはあり得ないのです。

ヨハネ18:36「わたしは地上の王ではありません。もし地上の王であったら、逮捕された時、弟子たちは戦いをいどんだでしょう。わたしの国はこの世のものではないのです。」

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