メタノイアを分解する
ルカ3:7 バプテスマを受けに来る人たちに、ヨハネはきびしい口調で話しました。「まむしの子ら! あなたがたは神に立ち返ろうともせず、ただ地獄から逃れたい一心でバプテスマを受けようとしている。 8その前に、悔い改めたことを行いで示しなさい。アブラハムの子孫だから大丈夫などと思ってはいけない。そんなものは何の役にも立たない。神はこの石ころからでも、今すぐアブラハムの子孫をお造りになれるのだ。 9今の今でも、神のさばきの斧はふりかぶられ、あなたがたを根もとから切り倒そうと待ちかまえている。だから、良い実を結ばない木はすぐにも切り倒され、火に投げ込まれるのだ。」
悔い改めのギリシャ語はμετανοίας であって、メタノイアと発音しますけど、これを分解するとμεταとνοίαに分けることができます。前者はメタで後者はノイアなわけですけど、メタってのは、「高次元へ超越、変化する」の意味で、ノイアは単純に「思考、感覚」でしかありません。つまりこのギリシャ語双方に全く「悔い」は含まれないわけです。
にもかかわらず、悔い改めという人造宗教用語が出来上がっているのは、やはりイエスミカエル説を否定するのと同じくキリスト教業界が罪悪感を信徒たちに過剰に背負わせて支配したいがためのサブリミナルメッセージと言えるでしょう。悔い改めなさいより「改心、思いを変えなさい」が正しいですね。道義的な心理状態の正常化が望まれるわけですけど、「悔いるべき」とする表現は不適切と言えるでしょう。
宗教ってのは全くもって人間を支配下に置くために最強のツールで、エホバの証人も組織に対して悔いる気持ちを常に生じさせられプレッシャーを互いに掛け合い相互監視のもと生きています。組織は信徒に負い目を悔い改めという宗教用語によって感じさせることで、罪悪感や依存心を引き出し彼らに奉仕させることに成功しています。
上の聖句を読めば、「地獄に行きたくないから救われたい一心のみで、その心理状態が劣悪なのに洗礼を受けても無意味」と断罪されています。も塔やキリスト教世界の形式ばった「救われたい自分だけでも」競争社会における永遠の命争奪戦のバプテスマは腐った実を生み出す可能性があります。誠実な人間に過去を後悔させる一方で、サイコパスが「悔い改めよ」と他人へ仰々しくも脅迫しマインドコントロールできる悪趣味なカルトが今のキリスト教なわけです。
心を一新する
宗教は「悔い改め」という人造用語を生み出し、キリスト教で信徒をマイコンしています。それは誠実な人を過去に縛り付けるサブリミナルメッセージでありながら、なおかつカルト教祖が他人を脅迫し負い目を感じさせ依存させるための常套手段になります。確かに良心の呵責に苛まされる経験が他人の痛みを知るきっかけになることは確かですが、既にその状態になっている人へ「悔いる」よう説き伏せる必要はないでしょう。通りすがりの常識人に「悔いろ」とか言っても非常識な頭おかしい人扱いされますよね。一方で確かに「悔いる必要はない」からありのままの自分を受け入れようとお祭り騒ぎして近所迷惑な言動をしている非常識なクリスチャンたちは多いと思います。
過去を後悔し過ぎても、はたまた全くそれがなく自己主張ばかりして思い上がるのもどちらもメタノイアできてません。難しく感じますが、その中庸が適切なのでしょう。今回は「悔いる」「改め」がメタノイアにはとても不適切であることの覚え書きです。悔いるのではなく過去を忘れるとある通りです。
ローマ12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
フィリピ3:13 愛する皆さん。私は、まだその目標に達してはいません。ただこの一事に全力を注いでいます。すなわち、過去を忘れて、前にあるものを望み見、 14ゴールに到達して神の栄冠を得るために、一生懸命努力しているのです。この栄冠を与えようと、神は私たちを天へと召しておられます。それは、キリスト・イエスが成し遂げてくださった救いによるのです。


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