許さないと神も許さないの聖句の文脈の意味
マタイ18:29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
前後の文脈を見てもこの家来は主君に無条件で借金を帳消しにしてもらっています。さらに家来にお金を借りていた奴隷人は、この家来に「借金を返すのでお待ちください」ときちんと誠意を見せてできる限りの行動をする前提で謙遜に自分の落ち度を認めて情けを願い求めています。
しかし家来は自分が無条件で君主から借金帳消ししてもらい自由になった身の上でありながら、情けを求める奴隷人の仲間を一生涯懲らしめる目的で牢獄に閉じ込めました。この家来は彼を雇う期間を延長したり、身の上を世話する仕事を増やして借金を帳消しにするなど、何らかの解決策を考慮する可能性があったにも関わらず、そのように残酷に振る舞いました。
文脈を見てみれば明らかですが、これはカルト教会や一般社会で理不尽な扱いを受け続けている被害者側が悪質な加害者側を愛して許さないといけない云々の話ではありません。あくまでも、加害者側が誠意を示してできる限りのことをして許しを請う場合にのみ、落ち着いて冷静に穏やかに互いに交渉しましょうということです。
多くの聖霊を受けていないカルト教会人たちは、傷ついた本来養うべき羊たちを「加害者を許さないとあなたも神から許されないぞ」とか言ってこの聖句を使い脅迫しています。まず悪魔が最も活用する武器は聖書であることを念頭に置いてください。
イザヤ1:17 善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守りやもめの訴えを弁護せよ。
5:20 善を悪と言い,悪を善と言う人たち, 闇を光とし,光を闇とする人たち, 苦いものを甘いとし,甘いものを苦いとする人たちには災いがある!
エレミヤ22:3 主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。
エゼキエル34:20 それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。 21お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。 22しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。
まず被害者の弁明と意見に耳を貸すべき
許さないと神もあなたを云々の話がカルト教会で言われてるようですが、当たり前ですがまず被害者側の言い分をきちんと聞きなさいということです。被害者側の訴えはやがて訴訟にまで発展することはよくありますよ。
マタイ5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 24その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 25あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。 26はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
特に22節の前文では「兄弟に馬鹿という者はゲヘナ行き」とあります。これはとりわけ加害者側が被害者の言い分を却下して見下げることも意味します。公正な判断力に欠けた人たちは被害者の言い分を侮ることになるからです。それは彼らの言い分を「馬鹿だ」と呪うことに等しいわけです。
ありとあらゆる聖句からわかることは、加害者側の悪い言動は償いによって悔い改めるか、はたまた誠意を示してできる限りのことをすることでやっと赦すことが推奨されています。訴えを言語道断で却下してひたすら被害者側に「許さないと神もあなたを・・・」とか言って馬鹿にしたり公正な判断を下さない人たちこそ、実は情け容赦ない家来に該当する悪質な気質を反映していると言えます。
啓示6:10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」
イエスもステファノも赦しを祈り殉教したのは、神が必ず復讐することに信仰があり安らぎを見出していたからです。しかし啓示の書ではステファノも含めた殉教者の魂が象徴的にこだまして復讐を願い求めています。悪しき支配者や誠意を見せない加害者に対して復讐を願うことは罪ではありません。
ましてやカルト教会たちが養うべき羊を傷つけた場合、それ自体が解決されてないなら許されることは一生ありません。
マタイ25:41 「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい。42 わたしが飢えても,あなた方は食べる物を与えず,渇いても,飲む物を与えてくれなかったからです。43 わたしがよそからの者として来ても,あなた方は温かく迎えず,裸でいても,衣を与えてくれませんでした。病気であったり獄にいたりしても,世話をしてくれませんでした』。44 その時,彼らもこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢え,渇き,よそからの人であり,裸であり,病気であり,あるいは獄におられるのを見て,あなたに仕えませんでしたか』。45 その時,彼はこう答えるでしょう。『あなた方に真実に言いますが,これら最も小さな者の一人にしなかったのは,それだけわたしに対してしなかったのです』。46 そして,これらの者は去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。


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