キリスト教会は自分たちニケア会議の際に決議された宗教的信条を受け入れない人たちは言語道断で無条件で地獄に堕ちてそこで永遠に無限の期間・・・となると教えています。しかしこれはオラームとアイオーンというヘブライ語とギリシャ語の本来の意図からは大きくずれていることが分かります。
オラームとアイオーンについて
それぞれ前者はヘブライ語で後者はギリシャ語ですが、これらにはそれぞれ永遠と訳せなくもないですが、有限の意味合いがあります。まず旧約中の事例を列挙します。
ヨナ2:7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。(実際にはヨナは3日間だけ大魚の腹にいたので永久ではない)
ユダ1:7 ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。(エゼキエル16章53節から神は永遠に裁いたはずのソドムを復興させる)
まだまだ上げればキリがないのでとりあえず割愛しますが、そもそもヘブライ語オラームとギリシャ語アイオーンには永遠という意味に訳されていますが、本来の意味は「有限の未定期間」として多く使用されています。旧約の律法やダビデ王統によるイスラエル王国及び祭司制度は永遠(オラーム)の契約であると全ての数えきれないほどのヘブライ語聖句で強調されていますが、キリストの到来によって終止符が打たれました。
つまり矛盾しているように聞こえますが、オラームなる永遠に終わりがあるわけです。事実ヨナなんてオラームつまり永遠に魚の腹に閉じ込められたとか言われてますが、たった3日だけですし、いとも簡単に無限期間の永遠が覆されるわけです。オラームに該当するギリシャ語アイオーンには、以下の聖句で使用されています。
マタイ24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
世とはヘブライ語のオラームに該当するアイオーンですが、これがいずれ終わりを迎えると表現されていますね。つまりオラームにもアイオーンにも終わりがあるのです。ですから、アイオーンの裁きによって、聖書は第二の死(終わり)を被ると述べています。
キリスト教が言うようにすでに誰でも地獄に堕ちて拷問されているなら、そもそも滅びに至るための裁きの復活も必要ありません。なぜなら既に裁かれて地獄にいるんですから。地獄ですでに裁かれてるのにもう一度裁かれるために復活する理由はないでしょう。
人間社会と同じく悪事を働き他人を傷つけ殺した人たちは、一定期間拘留されて最終的に刑の執行によって死に至ります。永遠なるアイオーンの裁きとは完全に滅び去ることを意味していることが理解できます。人間も堕天使悪霊も同じくアイオーンの期間裁きを受けて死滅します。
エホバの証人はどんな悪党も全く罰を受けずに永遠の死の眠りにつくだけと教えていますが、人を傷つけたり騙したり全世界をファルマキアつまり薬品魔術(わ9ちん)で大量殺戮したり、偽教理を広めて誠実な人たちを迫害したり虐待する偽預言者や、動物や自然を傷つけて何とも思わない猟奇的殺人者やサディストたちのような悪人たちは、やはり死に至るアイオーン、それぞれの行いに応じた期間の裁きを受けることになるでしょう。
それで神の前には常に有罪であり許されざる人たちですし記憶に覚えられるので、彼らに対する有罪宣告は永遠に消え去らないわけであり、そういう意味で悪人たちは永遠に昼も夜も有罪宣告の責め苦にあうと言えましょう。黙示録の該当箇所は「昼も夜も終わりに至るまでアイオーンの裁きを受けて死に至る」が正しい翻訳、解釈と言えます。簡単な話それぞれの悪党は妥当な期間の裁きを受けて消え去り、意識のない霊魂は神に一生覚えられて許されず比喩的に責め苦を受けるとも考えられます。
体育会系のクリスチャンたちは聖書を捻じ曲げて自らの権威を高く掲げ上げ正しい人たちを排斥し言論封殺することで霊的殺人罪を犯し、自分たちは艱難前携挙天国行き決定で24人の長老の王座に就き、誠実な未信者たちは問答無用で地獄で永遠に裁かれ拷問されると教えていますが、そうはならないでしょう。
とりわけアイオーンの裁きを受けるに該当する人たちは、ファリサイ派の思想を受け継いだ悪いクリスチャンと言えるでしょう。キリストを知りながらに教えを正さず他人に憐れみを示さず義をひけらかす自己顕示欲の塊のような性質はファリサイ人の霊であり、一世紀と同じ霊的現象が生じることが聖書で預言されているわけです。アイオーン(永遠と訳される)の期間の裁きは非常に長いものとなり得ますので、ほぼ千年以上に渡るとなるとやはり永遠の責め苦を覚悟するべきと言えます。
しかし、普通の憐れみ深い未信者や異教徒たちが即座に地獄で永遠の裁きを受けているわけではありません。善人は死後眠りに就き、憐れみ深い良心的な彼らは千年統治の最中あるいは終わりに復活してキリストを知ることになるでしょう。ソドムのまだ許される余地のある罪びとたちが復活しまた栄えるとエゼキエル16章53-55節にある通りです。
朽ちないアイオーンの命に至るとは
これはよく質問されることですが、アイオーンが有限ならクリスチャンが永遠なるアイオーンの命を有することが理解できない、これは文字通り永遠だと言います。確かにアイオーンは文脈に沿って永遠と訳せなくもないですが、本来は「有限の長い未定期間」であって、義人たちは死なない朽ちないアイオーンの命に至るわけですから、その場合、文脈の意味合い的に文字通り永遠の命と言えましょう。(コリント第一15:53)
異なる点は罪の報いを受けてアイオーンの裁きを受けてアイオーンの死に至る悪党と、死に至らないアイオーンの命を有した義人たち、つまり永遠の命を有した人たちがいるということです。
- 死なず朽ちない>アイオーン≒無期限の永遠の命
- 死に至る>アイオーン≒有限期間の裁きで消滅
単語の組み合わせ、また文章や文脈全体の構造で臨機応変柔軟に意味合いが変わるのがヘブライ語やギリシャ語の特徴です。というか日本語含めて全ての言語の構造と言えるでしょう。ですから、アイオーンは永遠だ無限の裁き拷問だ、イエス様を知らなかった人は全員地獄で裁きを永遠に受けるんだとか言ってる大半のクリスチャンたちは言葉の強弱関係も把握せず聖書筆者の意図や比ゆ的な意味が多く含まれる特徴も掴んでおらず全く支離滅裂な思考回路をしており読解力は小学生以下の可能性も高いでしょう。


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