現代における異言の実際的な有効事例

2022/04/04

異言

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パウロはヘブライ語、アラム語、ギリシャ語、ラテン語の他に多くの異言、つまり外国語を話すことができた異邦人への使徒、伝道者でした。また各地に訪れる度に外国人と出くわすことになるので、現地の言葉でコミュニケーションを取る必要があったでしょう。

パウロの異言

また来訪各地の言語ではなくとも、そこに訪れる異国の人たちへのしるしとして、地図表記以外の場所を母国とする彼らの言葉で祈り賛美をしたりすることができたでしょう。異言は伝道開拓をショートカットするために作用する聖霊の奇跡の働きです。それで伝道で赴く場所が多いほど、異言を語る回数も比例して増えたことでしょう。

現代カリスマ派や聖霊派たちがいきなり自由自在に好きな時間に「シャババババー♫カラカラカラ♫」とか意味不明なうがいみたいな発語してる状態は異言ではありません。翻訳できないし、ただの集団催眠状態による呪文です。こんな呪文唱えてると霊感体質の人はおかしな幻を見てしまいますよ。

現在は福音もある程度全世界へ広がったので、教会内で異言などを語る必要性も無く、自己責任で一人で神に向けて語るべきと言えるでしょう。

申命記18:9-13 「あなたの神、主が賜る地にはいったならば、その国国の民の憎しむべき事を習いおこなってはならない。あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。めた占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない」。

とある実際的な異言の有効事例

ある宣教師たちはフィリピン地方に赴き、そこで母国語が通じない先住民たちが居住している小さな島にたどり着きました。そして、現地先住民の女性が死んでしまうハプニングが起きて、彼らは一人の宣教師に祈ってほしいと頼みました。それで、宣教師は深い悲しみによってとりなしの祈りをすると、突然彼の口から知らないはずの現地住民が話す外国語が溢れ出ました。

そして、最終的にその死んだ女性はこの異言の祈りによって復活しました。このような事例は今でも少なからずあるようです。現地住民たちは異言の奇跡のしるしを確認して神を信じるようになります。

コリント第一12:29 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。 30皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。(全員が異言を語ることに否定的な文章と読み取れるため、現代のカリスマ派の習慣は非聖書的と言わざるを得ない)

コリント第一14:2 異言を話す人は,人に対してではなく,神に対して話すからです。だれも理解できないのに,その人は霊によって神聖な奥義を話しているのです。3  しかし,預言する人は,その話す事柄によって人を築き上げ,励まし,慰めます。4  異言を話す人は自分を築き上げますが,預言する人は会衆を築き上げるのです。13  ですから,異言を話す人は,自分が[それを]翻訳できるように祈りなさい。 14  というのは,わたしが異言で祈っている場合,祈っているのはわたしの霊[の賜物]であって,わたしの思いは実を結んでいないからです。 15  では,どうすべきでしょうか。わたしは霊[の賜物]をもって祈りますが,同時に[自分の]思いをもって祈ります。わたしは霊[の賜物]をもって賛美を歌いますが,同時に[自分の]思いをもって賛美を歌うのです。22  それゆえ,異言はしるしのためです。それも,信者に対してではなく,不信者に対してです。27異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。 28解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。

異言は未信者へのしるしなおかつ神への語りかけとして霊が祈ると書かれてあるとおりです。2節の「誰も理解できない」とは文脈を見ると内輪や身内同士では分からない言葉であっても、異国の現地住民にとっての「しるし」なのでそれらが理解できて信じたことの意味合いでしょう。クリスチャンたちにとって「理解できない」言葉であっても、未信者への伝道の「しるし」として彼らにとって理解できるケースがいわゆる異言の働きです。

要約すると、聖霊を有したクリスチャンが必要に応じて母国語以外の知らない言語で原住民や疎開地域の福音を全く知らない人たちの目の前で祈りだし、またその異言の祈りや賛美は現地住民の人々にとって翻訳が可能であるということです。また自分自身と神に語ると28節にありますが、これも一世紀当時に常時有効だった本物の異言の賜物をうまく活用するように進言しています。賜物と表現されるように、その異言の賜物を受けるなら生涯に渡って常時有効だったのでしょう。

  • 神に対する賛美と祈願
  • 自分を築き上げる(目立たせる)が、複数人が集う教会にとっては益とならない
  • 霊が祈ってるが知性は実らず、複数人の場では翻訳するべき
  • 未信者に対するしるしとして有効
  • 翻訳する人がいなければ教会では異言を控え一人で神に語るべき

キリスト再臨まで異言は続くという人もいますが、現段階でも必要とされる預言や知識と異なり、未信者へのしるしとしての異言が有効な状況がない、つまり現地住民の未開拓地方などで証をするための状況下に強いられていないのであれば、わざと異言のマネごとをしてすでに福音を熟知してる信者たちと一緒に「シャバカラサムババ」とか意味不明な発語をしなくともいいでしょう。なぜなら、不要だからです。パウロは譲歩して、異言でどうしても語りたいなら翻訳できない場合は「翻訳できるように祈りつつ一人でつまり自己責任でするように」指示しています。たまに頭を空にしながら異言で祈れとか言う人いますが、理性喪失により悪い霊に憑依される可能性があり危険でしょう。

マタイ6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

コリント第一13:8  愛は決して絶えません。一方,預言する能力があっても,それは(必要なければ)除き去られます。異言があっても,(必要なければ)それはなくなります。知識があっても,(必要なければ)それは除き去られます。

マタイの聖句でイエスは「くどくど祈るな」と言われましたが、原語はバタロゲオであり、「同じ発音、言葉にならない発語、言語として機能してないもの」を意味します。ですから、パウロが述べる異言も、単調な発語ではなく意味を伴うれっきとした言語でありながら自分たちにはわからない神秘の外国語であり、それならキリストへ届けられたのでしょう。

しかし、現代の異言の場合は、実際にアフリカ人女性は異言で祈ってるときに「ち○こち○こ♫」とか知らずに祈ってて笑えました。本人知らんと適当に発語してたら、ち○こって言うてたって爆笑ですけど、ずっとこんな状態続ける意味はないから、やめたほうがええでしょう。

※天使の異言があり霊の祈りと仮定した場合にも、頭を空にせず心の清さと純粋な思いによって発語するなら神への賛美、霊のうめきとなり得るかもしれません。

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