未知な異言や死者の霊について聖書は何と言ってるか

2022/03/28

異言 堕天使と悪霊

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サタンは「人の住む全地を惑わして」いると聖書は述べています。(啓示 12:9)サタンと悪霊たちは,わたしたちが神の言葉である聖書を信じることを望みません。そして,死者は霊界のどこかで生きていると人々に信じ込ませようとしています。では,そのためにどんな方法を使うのか調べてみましょう。


人間,動物,魚,鳥  ― すべては魂

 多くの宗教は,すべての人には魂があり,その魂は肉体の死後に霊界に移ってゆくと教えています。そのような宗教は,体は死んでも魂は死なないと言います。さらに,魂は死ぬことができない,つまり不滅であるとも主張しています。 しかし神の言葉はそのようなことを教えていません。聖書は,魂は人の中にあるものではなく,人そのものであることを示しています。例えば,アダムの創造について説明するさいに,聖書はこう述べています。「それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった」。(創世記 2:7)ですからアダムは魂を与えられたのではありません。アダムは魂だったのです。 動物も魂と呼ばれています。―創世記 1:20,21,24,30。

 聖書の「魂」という言葉がその人自身を指している以上,魂は死ぬことができ,また実際に死んでいるということを知っても驚くことはないでしょう。聖書はこう述べています。 「罪を犯している魂 ― それが死ぬのである」―エゼキエル 18:4。 「それからサムソンは言った,『わたしの魂はフィリスティア人と共に死ぬのだ』」―裁き人 16:30。 「安息日に許されているのは,善行をすることですか,悪行をすることですか。魂を救うことですか,殺すことですか」―マルコ 3:4。 

死の際に体を離れる不滅の魂は存在しない。

聖書は魂が不滅ではないことを示している 聖書のほかの言葉が示しているように,魂は断たれたり(創世記 17:14),剣で討たれたり(ヨシュア 10:37),窒息したり(ヨブ 7:15),おぼれたり(ヨナ 2:5)することがあります。ですから魂は死ぬのです。 聖書を始めから終わりまで読んでも,「不滅の魂」という表現は見つかりません。人間の魂は霊ではないのです。不滅の魂という教えは,聖書の教えではありません。それはサタンと悪霊たちの教えです。エホバは,宗教上のうそをすべて憎まれます。―箴言 6:16-19。テモテ第一 4:1,2。

霊媒 サウルがエン・ドルの霊媒術者を訪ねた時,悪霊はサムエルのふりをした。 悪霊は実際に死者の霊を装う サタンが人々を惑わすもう一つの方法は霊媒を使うことです。霊媒というのは,霊界から直接メッセージを受け取ることができる人です。霊媒自身を含め,非常に多くの人は,そのメッセージが死者の霊から来ていると信じています。しかし,これまで聖書から見てきたように,そのようなことはあり得ません。―伝道の書 9:5,6,10。 では,そのメッセージはだれから来るのでしょうか。悪霊自身からです。悪霊たちは,人が生きているときにその人を観察することができます。その人がどんな話し方をしたか,外見はどうだったか,何をしたか,何を知っていたか,などについてよく知っています。ですから悪霊たちにとって,死んだ人のまねをするのはたやすいことなのです。―サムエル第一 28:3-19。 

サタンが死者についてのうそを広めるもう一つの方法は,作り話をすることです。そのような話はともすると,人々を聖書の真理から遠ざけてしまいます。―テモテ第二 4:4。 2人のクリスチャンの奉仕者の片方を死んだ自分の兄弟だと思って付いて来る男性 生き返った人を見たと考える人もいる アフリカには,人が死んだ後にその人の生きている姿を見かけたというような話がたくさんあります。よくあるのは,その人の暮らしていた所から遠く離れた場所で見かけたという話です。

しかし,こう考えてみてください。『もし人に生き返る力があるのであれば,家族や友人から遠く離れた場所に戻ってくるというのは筋の通った話だろうか』。 あるいは,目撃された人が,死んだ人に似ていたにすぎなかったということはあり得ないでしょうか。例えば,二人のクリスチャンの奉仕者が田舎のほうで伝道していたときのことです。二人はある老人が何時間も自分たちのあとからついて来るのに気づきました。尋ねてみると,その老人は片方の奉仕者のことをてっきり,数年前に死んだ自分の兄弟だと思っていたことが分かりました。もちろん,それはその人の思い違いでした。しかし,老人は間違いを認めようとはしませんでした。この老人があとで友人や近所の人にどんな話をしたかを想像してみてください。 

幻,夢,声 悪霊たちは,夢,幻,声を使って人々を惑わしている。

 悪霊は夢や幻や声によって惑わす 人々が見たり聞いたり夢で見たりする奇妙な事柄についてはご存じのことでしょう。そういう不思議なことを経験した人は大抵,恐ろしく感じるものです。西アフリカに住んでいたマレインという女性は,夜になると決まって自分を呼ぶ死んだ祖母の声を聞きました。マレインはそれが怖くて,いつも金切り声を上げては,家族全員を起こしました。彼女はとうとう気が狂いました。 ところで,もし死者が実際に生きているとしても,愛する家族を怖がらせるというのは筋の通ったことでしょうか。もちろん,そうではありません。そういう有害なメッセージは悪霊から来るのです。

 しかし,自分の助けや慰めになるようなメッセージについてはどうでしょうか。例えば,シエラレオネのグバッセーという女性は病気にかかっていました。彼女は夢の中で,死んだ父親が現われるのを見ました。父親は彼女に,ある木のところに行って1枚の葉を取り,それを水に混ぜて飲むように教えました。彼女はそのことをするまで,だれにも話してはいけないことになっていました。そして言われたことをしたら病気はよくなりました。

別の女性は,ある夜死んだ夫が現われたと言いました。彼女の話では,夫は大変すてきに見え,美しい服を着ていたということです。 このようなメッセージや幻は良いもので,助けになるようにも思えます。それは神から来るのでしょうか。そうではありません。エホバは「真理の神」です。(詩編 31:5)エホバがわたしたちをトリックにかけたり,だましたりすることは決してありません。そういうことをするのは悪霊たちだけです。

しかし良い悪霊もいるのでしょうか。いいえ。悪霊は時に助けになるように見えるかもしれませんが,すべて悪い者たちです。悪魔はエバと話をしたときに優しそうに見えました。(創世記 3:1)しかし,悪魔の言うことに耳を傾け,そのとおりに行動した後,エバはどうなったでしょうか。死んでしまいました。 エバの遺体が家族によって運び出されている。 サタンは,エバは死なないと言った。エバはサタンを信じたが,最後には死んだ ご存じのように,悪い人が相手をだましたり欺いたりしようとするときに,その人に優しくするのは珍しいことではありません。

「白い歯に黒い心」というアフリカのことわざがありますが,神の言葉も,「サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させている」と述べています。―コリント第二 11:14。 神が夢や幻や霊界からの声によって地上の人々と接触されることはもうありません。神は聖書を通して人々に導きと教えをお与えになります。人は聖書によって,「あらゆる良い業に対して全く整えられた」者になれます。―テモテ第二 3:17。 ですからエホバが,悪魔の策略に用心するよう警告してくださるのは,わたしたちを愛しておられるからなのです。エホバは,悪霊たちが危険な敵であることをご存じです。

「未知の言語」とその解釈


現在異言が復活していることを,「落ち着きのない目立ちたがり屋の感情的な奇行と見る人もいれば,使徒たちの時代に見られた異言を話す現象と全く同じものだと考える人もいます」。「未知の言語」が語られる現代の教会の集会では,恍惚状態になって突如,理解できない音声を張り上げるのが普通です。ですから,ある人はこう言いました。「私が異言の賜物を使うのは,人のいないところで黙想する時がほとんどです。……人前では少し恥ずかしい感じがします」。また,「何をしゃべっているのか自分でも理解できません。しかし,しゃべるように舌が押される感じが続くんです」と言った人もいます。

そうした未知の言語によって伝えられる情報には,どんな価値があるのでしょうか。また,その解釈についてはどうでしょうか。この種の話を解釈できると主張する人たちは,同じ理解できない言葉に対してそれぞれ違う説明をしました。なぜ食い違うのでしょうか。「神は,ある人には一つの解釈をお授けになるが,別の人には別の解釈をお授けになる」と言って,食い違いをうまく説明しようとします。一人の人は,「解釈が正確ではない場合があることに気づいた」ことを認めています。D・A・ヘーズは「異言の賜物」という著書の中で,未知の言語を語る女性の「言葉があまりにも下劣」なので解釈を拒否した男性の例を挙げています。1世紀当時に存在した,本当に会衆を築き上げる異言とは何と対照的なのでしょう。―コリント第一 14:4-6,12,18。

現在でも,すばらしい解釈を聞いたと主張する人がいます。そういう人たちは,神が「人々に直接音信を伝えたいと願われる」時にはこの賜物をお用いになる,と誠実に信じているかもしれません。しかし,イエス・キリストと使徒たちがわたしたちに伝えなかった,神からのどんな音信が必要なのでしょうか。自らも聖霊を授けられていたパウロは,「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」と言いました。―テモテ第二 3:16,17。

実際のところ,クリスチャン会衆はもはや揺らん期にはなく,会衆が果たす役目を確かめるための神からの啓示や奇跡の賜物はもはや必要ではありません。聖書は,「たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上の[「食い違った」,新英訳聖書]ことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」と警告しています。―ガラテア 1:8。

奇跡的な異言の賜物はもはや必要ではなく,異言を今日の真のキリスト教の一部として信じる聖書的な根拠もありません。聖書が完成しており,広く頒布されている現在,わたしたちに必要なものは神の言葉の中にあります。わたしたちは聖書から永遠の命に導く,エホバとみ子に関する正確な知識を取り入れることができます。―ヨハネ 17:3。啓示 22:18,19。

1世紀当時でさえ使徒パウロは,異言の賜物が初期の会衆に与えられた理由に対するコリント会衆の見方を正すために手紙を書かなければなりませんでした。中には異言の賜物に夢中になり,霊的に未熟な子供のように振る舞っていた人もいたようです。「異言」を重視し過ぎていたのです。(コリント第一 14:1-39)パウロは,1世紀のクリスチャンが一人残らず異言を話したわけではないことを強調しています。それは救いには必要ではありませんでした。異言が存在していた時でさえ,奇跡による預言のほうが重要視されていました。過去においてもそうでしたが,現在においても,異言はクリスチャンが永遠の命を得るための必要条件ではありません。―コリント第一 12:29,30; 14:4,5。

今日見られる未知の言語の背後にある力

現在,異言を語る人々の背後にある推進力は,この能力を身に着けるよう教会員を促すカリスマ的な教会指導者たちであると信じている人もいます。時に異言は,感情過多や不安定によって引き起こされることがあります。シリル・G・ウィリアムズは「霊による異言」という本の中で,異言は「多くの場合,グループ内でのエリート意識の象徴」となっており,それを話す人は「グループの人たちの目にも自分の目にも才能や権威があるように見えるのだ」と述べています。ですからその動機は,未知の言語を話す優れたグループに入りたいという願望なのかもしれません。

ドナルド・P・メリフィールドはロヨラ大学の学長だったとき,「異言はヒステリックになり得るし,ある人々によれば,悪魔的なものにもなる可能性がある」と述べました。僧職者のトッド・H・ファーストは,「異言には議論の余地がある。悪魔は人に働きかける数多くの手だてを持っている」と言いました。聖書自体,サタンと悪霊たちが人々に影響を与え,その話を支配できることを示しています。(使徒 16:17,18)イエスが立ち向かった悪霊は一人の男を動かして,どならせたり,床に倒れさせたりしていました。(ルカ 4:33-35)パウロは,『サタンが自分をいつも光の使いに変様させている』と警告しています。(コリント第二 11:14)現在,神がもはやご自分の民に授けておられない異言の賜物を追い求める人々は,実際にはサタンの欺きに対して無防備になっているのです。サタンは「あらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆」を用いるという警告が出されています。―テサロニケ第二 2:9,10。

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