パウロに与えられた肉体のとげとサタンの使いとは何か

2021/10/08

天的クラス

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パウロの肉体のとげ、サタンの使いの正体についてコリント第ニの文脈全体や前後の章、パウロ書簡全体を把握し、ギリシャ語原語観点からどのように解釈するのが、一番正しいのか一緒に考えていきましょう。ある人達はパウロが悪霊の幻聴とか目の致命的な病に侵されて、神からの呪いを受けたから、偽だとか言ってますが、本当にそんなことを述べているのか、早速調べましょう。

肉体のとげの正体

コリント第ニ12:7  ただその啓示の過大さのために,わたしについて見るところ,あるいはわたしから聞くところを越えて,わたしのことを高く評価するようなことのないためです。そして,  高められないように一つのとげが肉体にもたらされました。それはサタンの使いであって,わたしが高められない(ギリシャ語の受動態で表記されるので、「高まらない」は間違い)よう,わたしに終始平手打ちを加えたのです。 8  これについては,それがわたしから離れるよう,わたしは三度主に懇願しました。 9  しかし[主]は,まさにこう言われました。「わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である。[わたしの]力は弱さのうちに全うされるのである」。それゆえわたしは,自分の弱いところについてむしろ大いに喜んで誇り,こうしてキリストの力が天幕のごとくわたしの上にとどまるようにします。 10  したがって,わたしは弱いところを,侮辱,窮乏,迫害や困難を,キリストのゆえに喜びとするのです。わたしが弱いとき,その時わたしには力があるからです。

コリント第ニ12:7の原語

肉体のとげのギリシャ語はその箇所だけの一回しか登場しません。それで旧約聖書で「とげ」の正体を探します。

民数記33:55 もし、その土地の住民をあなたたちの前から追い払わないならば、残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨となって、あなたたちが住む土地であなたたちを悩ますであろう。

ヨシュア23:13 あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる。

裁き人2:3 わたしもこう言わざるをえない。わたしは彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせ(のとげ)となり、彼らの神々はあなたたちの罠となろう。

エゼキエル28:24 おまえも、他のイスラエルの近隣の国々も、かつてはイスラエルをさげすみ、邪険にしてきたのだが、これからはもう、いばらやとげのようにイスラエルを突き刺したり、引き裂いたりしなくなる。

まずコリント第二該当箇所でのパウロのとげは、G4647のσκόλοψ(スカロプス)です。旧約でのとげとは、サタン側の人間を意味しますが、上記聖句の七十人訳のギリシャ語で全く同じ原語スカロプスが使用されています。パウロが常に日頃から悩まされていた致命的に至るほどの病とかサタンの使いなる悪霊による幻聴ではありません。ある人達はガラテアの次の聖句箇所を引用しパウロの目に致命的な問題があったと解釈します。キリストに対面する幻視体験で目を悪くしたとの説もありますが、使徒9章19節にてアナニヤによって目は完全回復しています。

ガラテア4章13節から15節では、パウロが「体が弱くなったことを通して」デルベ、リステラ、イコニオムのガラテア人に福音を伝えたと書いてあり、パウロの味方になった彼らが「目をえぐり出して彼に与えるのを惜しまないほど」に彼を援助したと読み取れます。ゼカリヤ2章8節にて「イスラエルを痛めつけるものは神のひとみに触れる」と表現されるように、パウロが文字通り目の致命的な病に侵されていたわけではなく、味方のガラテア人が彼を自分自身のように大切に看護したことを意味します。

ローマ 16:22に「 この手紙を筆記した私、テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。」とあるので、代筆者がいたのは明らかですが、Ⅰコリント16:21 「パウロが、自分の手であいさつを書きます。」ガラテア6:11「ご覧のように,私はこんなに大量の手紙で(あるいは大きな字か大量の字数でと訳せる)自分の手で皆さんにこの手紙を書いています。」Ⅱテサロニケ3:17 「パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です。」とあるように、パウロが視力を悪くしたゆえに、大きな字で書いてると解釈されがちですが、単純に強調の意味合いでブログと同じように字体を大きくしているだけしょう。

このパウロの「目を含めた体が弱くなった出来事」の発端は使徒14:19でガラテアの町リストラのユダヤ人迫害者たちに石打にされて気絶か絶命したことが原因です。彼は神の奇跡で致命傷を抱えながらも起き上がり復活し、翌日には別の街であるデルベへ向かったとあります。そのためにパウロはガラテア4:13−15にあるように、「目を含めた体が弱くなっていた」のです。それでも13節に「以前に体が弱くなった」とあるように「以前」の話であり、ガラテア人への手紙を書いてるその時は平気なようです。当時のパウロの味方であったガラテア人の援助と保護と当時の聖霊の活性化する時代における奇跡の癒やしによって石打の一時的な致命傷から完全に元の状態に戻り、再び元気になりました。下記の19章の癒やしはガラテアでの怪我以降の話なので、ずっと何らかの致命的な目の病に侵されていたわけではないのです。大きな字によるパウロの直筆は、彼の執筆スタイルであり、極端な視力の弱さを意味するものではないでしょう。

使徒19:11 しかもパウロは、神によって驚くべきすばらしい奇跡を行う力に恵まれたので、 12彼の手ぬぐいや前かけを病人にかけるだけで、病気は治り、悪霊は出て行きました。

ペテロ第一2:24 杭に掛けられ,私たちの罪を体に負ってくださいました。私たちが罪に関して死に,正しく生きられるようにするためです。「彼の傷によって皆さんは癒やされました」。

12章9節の「弱さ」のギリシャ語は、「アスセナヤ」ですが、ローマ8章26節の「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」における「弱い」にも使用されています。ここでの弱さとは、何を祈るべきかわからない霊的な思考における欠乏を意味しており、病とは関係ありません。パウロは、迫害時において心が「弱ること」を常に心配して神がそれらを取り除くことを、イエスがゲッセマネで「この盃を取り除いてください」と祈るのと同じように望んでいました。しかし迫害はパウロから離れ去ることなく、その都度神の奇跡の癒やしによって治され、結果として「弱い時に神の力が顕在化した」のです。

コリント第ニ11:22 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 23キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 24ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 25鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 26しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 27苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 28このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。 29だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。 30誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。

サタンの使いによりもたらされた肉体のとげとは、11章22節に戻るとより具体的で12章では簡素に説明しているのが読み取れます。迫害と窮乏や教会内のいざこざを含めた幾多の艱難と気苦労です。彼は「モーセの律法の廃止と更新によるキリストの律法の確立」を説いたために、異端者とパリサイ派からレッテル貼られてユダヤ人クリスチャンよりも迫害を多く経験したでしょう。

実際に、7節における「平手打ちを加える」と訳されるギリシャ語「コラフィゾ」は、他人からの激しい敵意ある攻撃を意味しています。(マタイ26:67 ; マルコ14:65 ; コリント第一4:11 ;コリント第ニ12:7 ; ペテロ第一2:20)サタンの使いは次の見出しで述べますが、「堕天使」や「悪霊」の意味で用いられる原語です。また8節における「離れ去るように」の原語は「アフェステニ」であり、実際に人が誰かから離れるの意味で多用されます。

このことからも、堕天使がいかにパウロを執拗に攻撃するためにサタン自身が光の天使を装い偽教師を送り込んで、パウロがそれらが離れ去ることを願っていたか理解できるでしょう。(コリント第ニ11:13−15 ; テモテ第一4:1)実際に教会について心配だと28−29節で述べていることからも明白です。

肉の中(in)に?の意味

ガラテア5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。

ペテロ第一4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。

KJVでは肉の中を意味するinと表現されていますが、それに該当するギリシャ語はὁ(hoと発音する)であり、「which (413x), who (79x), the things (11x), the son (8x), miscellaneous (32x).」等を意味する名詞を強調する冠詞であって、「中に」と訳されたのは意訳として英文で「こう表現するのが適切だろう」の推測による補足として付け足された単語です。つまりサタンからの使いがパウロの肉の中に内在するとする表現は、KJVにinとあるものの適切ではないと言えます。deepleで翻訳した結果は"12:7 And the superabundance of revelations, that I may not glory, was given to me to kill the flesh, the angel Satan, to flatter me, that I may not glory."であり、inなど確認されません。

更に上記に列挙したように、特にペテロ第一4章1節ではKJVとギリシャ語写本の双方でしっかりと「中に」を意味する原語ἐν(enと発音する)が使用されています。肉の中に迫害や苦しみをサタンから受けてきたクリスチャンの生き様が上記で表現されているために、パウロの中に悪霊が内在するというよりかは、百歩譲って原文に無いinを補足して付け足しても、彼もペテロと同じく堕天使や悪霊から伝道阻害する目的で迫害を普通より多く受けたの意味として認識できます。

サタンの使いは誰から送られたか

肉体のとげがパウロにもたらされたの箇所ですが、ある日本語聖書では「神が与えた」と表記されています。原文を確認すると、「神」という単語は全く出ていません。テサロニケ第一2:18では、「だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。」とあり、サタンがパウロを妨害していることが顕著に描かれています。

そのために、神がパウロにサタンの使いなる悪霊を送ると原文にないのにリビングバイブルのように勝手に「神」を付け足して解釈するなら神がパウロの伝道を妨害していることになります。仮にパウロが高慢になったとして、神が過大な啓示を与えた代償として呪いを送ることはありません。ソロモン王が神によって過大な富を与えられて高慢になって背教するがままに任せたように、いちいち目とか他の身体の呪いを与えて謙遜にさせるようなことはしていないのです。

ペテロ第一5章6節は、「それゆえ,神の力強いみ手のもとにあって謙遜な者となりなさい。そうすれば,[神]はしかるべき時にあなた方を高めてくださるのです。」とあり、使徒5章13節でも、使徒たちを神の栄光のために用いて「民衆が彼らを称賛した」とも表現されています。また旧約時代ではヨシュアが人々の前で「大いなる者」とされ高められています。(ヨシュア3:7)確かに全ての高まりが悪いわけではなく、神の栄光で信者たちが人々の前で高められることがあります。

しかし、このコリント12章7節では、「フペライロ」という聖書中でたった3回しか聖書に登場しない「ある対象を超越して高まる」または「高慢になる」とも訳すことができるギリシャ語が登場します。ただ、ヨシュア3章7節での「〜より高まる、偉大になる」のヘブライ語は「ガダル」であり、「〜に対して高慢になる」の意味でも使用されることがあります。「ガダル」は七十人訳のギリシャ語では「フプサオ」であり、たしかにペテロ第一5章6節における良い意味での「高められる」で使用されていますが、一方で旧約聖書中で「傲慢になる、思い上がる、自分を高める」の意味でも使用されています。ですから、「ガダル」と同じく「フペライロ」が、必ずしもコリント第ニ12章7節において、「高慢」と訳すべきとは断定できません。

コリント第ニ12章7節全文を世界一有能と評されるdeeple翻訳にかけると、フペライロは「栄光によって高まる、勝ち誇る」という英単語に変換されます。つまりパウロが人々に称賛されヨシュア以上に、キリスト直々から啓示を携わったゆえに大いに高められて歓迎されて福音伝道が容易に遂行されることを阻むサタンの意図があったのです。「フペライロ」がヨシュア3章7節における「ガデル」以上の「過剰な栄光によって高まる、勝ち誇る」意味合いがあるとして解釈できるのです。

また6節では「私を過剰に評価しないため〜」とあるように、パウロ自身が「高まる」のではなく、人々の前でキリスト直々からの過大な啓示故に伝道を成功させると彼らからの称賛と歓迎を受けることになり、KJV表記で受動態で表記されるように必然的に「高められる」ことになりますから、それを疎ましく思い信者が容易に増えることを気に入らないサタンが彼を失意させる目的で堕天使や悪霊を送りつけたのです。

これを裏付ける証拠ですが、興味深いことにフペライロが挿入される箇所の原文表記は、「ὑπεραίρωμαι」です。ギリシャ語の動詞の「能動態」は-ωか-ώ、「受動態」は-μαιで終わる語形を基本とし、それぞれがまったく異なる語形変化のパターンを持ちます。つまり、パウロ自身が高まるというより、人々から歓迎され「栄光によって高められる」ことになるわけであり、それを激しく阻止して宣教拡大を容易に成功させまいとする悪魔が常にパウロを攻撃したのです。パウロが「高慢になる」のであれば、心の状態が罪に支配されるゆえに、悪魔はそれを喜ばしく思い逆に彼を迫害することはなかったでしょう。

結果としてパウロはそのような栄光によって輝かしく高められることは決してなく、弱さや窮乏を経験し神により頼みました。そして、さらに文脈を確認することで謎が解けます。

後半の20節にて、「闘争,ねたみ,怒り,口論,陰口,ささやき,思い上がり,無秩序な事態がありはしないだろうか」とパウロがコリント人たちのことを心配しています。コリント人たちが翻訳できない異言を教会内で語って自慢したり互いにいがみ合い競い合っていたのをみて、パウロは「迫害という肉体のとげを経験して自分の弱さを知ってるから、自分の幻視体験や啓示を勝ち誇ることはずっとなかったよ」っちゅう実体験を元に、叱責と教育をしているのです。

コリント第一9章22節で「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」とパウロが述べたように、コリント人たちの高慢さを叱責するために、彼らのように誇ることもできたけど、そうならない自分を引き合いに出して対比させているだけです。実際にパウロ自身がイエスに啓示をたくさん示されたから高慢になって、肉体のとげを悪霊と解釈した場合のそれが神から送り込まれて幻聴や何かの呪いに悩まされたわけではありません。

サタンの世では堕天使や悪霊たち、それに扇動された悪人からの迫害は祈っても離れ去るものではなく、それによって否が応でも誰でもどれほど霊的な啓示を享受した本物の神の預言者やクリスチャンでも「過剰な栄光によって勝ち誇る」ことができなくなることを霊的に未熟で誇りがちなコリント人たちへ説き伏せています。実際には神はすでに謙遜なパウロにキリスト直々からの過大な啓示を与えて、人々の前にてヨシュア以上に、12使徒と同じ程にキリストの権威を与えて高めていました。それを阻みたい悪魔の勢力が常に存在するわけです。

パウロ自身が「過大な啓示が与えられた。そのために(私は特別な異邦人の使徒して神から証明されためにサタンから特別狙われて)人々から歓迎されて栄光によって高められ伝道が容易に成功しないように、(サタンが私を気に食わなかったので)サタンから彼の使いが私にもたらされて迫害を経験し弱さを知った。だが、弱さにおいて神は顕在化した。」とコリント人たちへ「迫害を忍耐する心構え」と「弱る時の自分自身の受け入れ方」を教えているわけです。

まとめ

  • 旧約でも「とげ」とは厄介な邪魔者を意味し、新約でも「迫害者」や「サタンから送り込まれた使いなる悪霊」を意味し、「弱いところ」とはそれらに迫害されたゆえの心身の疲弊や窮乏、欠乏、弱さを意味し、病とは関係ない。

  • 原文に「神」という単語は存在せず「神がパウロにサタンの使いを送った」の意味にはならず、またヨシュア3章7節の「ヨシュアを偉大にさせる」のヘブライ語「ガダル」と七十人訳でそれに相当するギリシャ語「フプサオ」には、コリント第ニ12章7節の「フペライロ」と同じく「高められる、高慢になる」の2つの意味として使用されるケースもあり、「フペライロ」をDeepL翻訳にかけると「過剰な栄光によって高まる、勝ち誇る」と訳され、また原文ギリシャ語表記は受動態であるので、「パウロ自身が高まる」のではない。ヨシュア以上に必然的に「過剰に高められる」の意味として解釈できる。

  • 意訳にすると「私が過大な啓示を有しているから、人々から歓迎されて福音伝道が容易に成功し過剰な栄光によって高められるかもしれないことをサタンが疎ましく思い、堕天使や悪霊を送り込んで偽教師たちを発足し迫害を扇動した。それは私を悩ませ、弱さを思い知らされたから人々から高められることはなかった。祈っても迫害は止むことはないけど、私が弱い時にいつも神の力が顕在化(癒やし、死からの復活などの奇跡を経験を)した。」と訳せる。

  • また霊的に未熟で「高慢さ」を抱えたコリント人たちへ、迫害を多く経験し「高められなかった」自分と対比させて叱責をしている。

と要約できます。サタンが、キリストの権威と啓示を通して福音伝道が容易に広がり信者が増えてパウロがヨシュア以上に過剰な栄光によって人々から高められないように、失意させるべくターゲットにしていたと読み取れます。別にパウロ自身が高慢だから致命的な目の病とか呪いを神が送ったわけではありません。そうではなく、大艱難時代、現代でも真のクリスチャンはサタンによってターゲットにされるために迫害や殉教を経験することになり、過剰な栄光によって高められることも、人間的な誇りの気持ちを抱くことすら一瞬たりともない日々を過ごすことになるでしょう。

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