黙示録の大患難を通過する数え切れない大群衆について

2020/11/13

ハルマゲドン 天的クラス

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この表現自体は,クリスチャン・ギリシャ語聖書に非常に多く出て来ます。「大群衆」という表現は,イエス・キリストの公の教えを聞いた人々の大きな集団に関して何度か使われています。(マタ 14:14; 19:2; 20:29)使徒ヨハネは,象徴的な大いなるバビロンの滅びに関する幻の後で,「大群衆の大きな声のようなものを天に」聞きました。(啓 19:1)しかし,啓示7章9節に登場する「大群衆」について言えば,その実体の確認は特に鋭い関心の的となってきました。

こちらを引用

14万4千人と大群衆が別である根拠

この章で使徒ヨハネはまず,「イスラエルの子らのすべての部族の」中から,神の14万4,000人の奴隷たちが証印を押されると述べています。(啓 7:2-8)その後ヨハネは幻の中で,すべての国民と部族と民と国語の中から来た「大群衆」を見ました。この人々は,神のみ座の前に立って,自分たちの救いを神と子羊とに帰します。彼らは「大患難」から出て来た人々で,神殿で神に仕え,神は彼らの上にご自分の天幕を広げられます。み子(子羊; ヨハ 1:29)が彼らを命の水に導くと,飢えや渇きは完全に無くなり,彼らの目からはすべての涙がぬぐい去られることになります。―啓 7:9-17。

一般的な見解 この「大群衆」の意義と実体に関しては,様々な見解が提出されてきました。多くの注解者は,最初に言及されている,証印を押された14万4,000人を「霊的なイスラエル」の成員とみなし,これは地上にいる時のクリスチャン会衆を象徴していると考えます。また,「大群衆」は,個々の人が信仰のうちに死んで復活させられた後の,天における同じクリスチャン会衆を表わすと考えています。さらに,14万4,000人は文字通り「イスラエルの子らのすべての部族」(啓 7:4)から来る者たち,すなわちクリスチャンになる肉のユダヤ人であると考える注解者たちもおり,そのような注解者たちは「大群衆」が異邦人のクリスチャンすべてを表わしていると考えています。しかし,啓示 7章と他の関連する聖句を検討するなら,こうした見解には重大な矛盾のあることが明らかになり,同時に,それとは異なる結論が導き出されます。

証印を押された14万4,000人は,地上にいる時のクリスチャン会衆の成員であり,「大群衆」は天に復活させられたクリスチャンであるという見方は,14万4,000人に触れている別の箇所,つまり啓示 14章と調和しません。その章で,14万4,000人は,子羊と共に「シオンの山」にいます。使徒パウロはヘブライ 12章18-24節で,地上のシナイ山におけるイスラエル人の経験と,「シオンの山,生ける神の都市なる天のエルサレム,幾万ものみ使いたち,すなわちその全体集会,天に登録されている初子たちの会衆……に近づいた」クリスチャンの経験とを対比しています。ですから,啓示 14章3節は,14万4,000人が「地から買い取られた」と述べていますが,文脈からするなら,彼らは地上ではなく,天の子羊キリスト・イエスと共に天にいる者として描かれているのは明らかです。(啓 14:3,4)このように,14万4,000人は地上にいる時のクリスチャン会衆を表わし,その一方で,彼らは天で「大群衆」になるという見解は説得力に欠けることが分かります。

それに加えて,使徒ヨハネが「大群衆」の幻を紹介している方法は,「大群衆」と証印を押された14万4,000人との間に実体の明確な相違があることを暗示しています。ヨハネは,「これらのこと[証印を押された14万4,000人に関する記述]の後,わたしが見ると,見よ,……だれも数えつくすことのできない大群衆が(いた)」と述べています。(啓 7:9)ですからヨハネは,「大群衆」を別個の存在として示しており,明確な数の14万4,000人と,数が明らかにされていない「大群衆」とをはっきり対比しています。それに「大群衆」は,「イスラエルの子らの」者ではなく,すべての国民と部族と民と国語の中から来た者であるという事実によっても区別されます。また彼らは,啓示 14章1節の14万4,000人のように『子羊と共に』立っているところを見られるわけではなく,「子羊の前に」います。これらの幾つかの要素はすべて,「大群衆」が,証印を押された14万4,000人とは異なる別個の存在であることを示しています。

一方,ここではユダヤ系のクリスチャンが異邦人のクリスチャンと区別されているという見解は,クリスチャン会衆の中で肉的な相違は問題ではなく,その成員は皆キリスト・イエスと結ばれて一つになっているという,霊感による使徒パウロの言葉に反しています。(ロマ 10:12; ガラ 3:28)エホバはキリストを通し,『両方の民[ユダヤ人と非ユダヤ人]を一つの体とし,ご自分と十分に和解させた』方であられるので,ヨハネに与えられた幻の中で肉のユダヤ人と異邦人を分けることにより,その時点で二つのグループを区別することなど到底考えられません。(エフェ 2:11-21; 使徒 15:7-9)この点は,パウロが語った次のような神の原則を考慮に入れる時,特に明らかになります。使徒はこう書きました。「外面のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外面の肉の上での割礼が割礼でもないのです。内面のユダヤ人がユダヤ人なのであって,その人の割礼は霊による心の割礼で(す)」。(ロマ 2:28,29)また,もしその見解が正しければ,神によるこの幻が,異邦人のクリスチャンに『証印を押す』ことに全く触れていないのはなぜでしょうか。さらに,異邦人のクリスチャンが,14万4,000人の歌う新しい歌を学び取ることができないのはなぜでしょうか。(啓 14:3)したがって,証印を押された14万4,000人が,肉のイスラエルではなく霊的なイスラエルであること ― それゆえにユダヤ人のクリスチャンと異邦人のクリスチャンを両方含んでいること ― は明らかであると思われます。―ガラ 6:16。

大群衆たちの実体と救われるタイミング

その実体を明らかにする 「大群衆」の実体を明らかにするかぎは,啓示 7章と,いかにもそれに類似した幾つかの記述に出て来る彼らの描写の中にあります。啓示 7章15-17節は,神が「彼らの上にご自分の天幕を広げられる」こと,彼らが「命の水の泉」に導かれること,また神が「彼らの目からすべての涙」をぬぐい去ってくださることを述べています。啓示 21章2-4節には,『神の天幕が人と共にある』,『彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださる』,『もはや死はない』というような類似した表現が出て来ます。ここに登場する幻は,『新しいエルサレムの下って来る』源つまり天ではなく,地上にいる人々,人類の中にいる人々に関するものです。

このことから一つの疑問が生じます。つまり,もし「大群衆」が救いを得て地上にとどまる人々であるなら,どうして『神のみ座の前と子羊の前に立っている』と言うことができるのでしょうか。(啓 7:9)聖書の中で,『立っている』姿勢は,ある者の前に立つ個人やグループが,その者の目に好意や是認を受けた立場を有していることを暗示するものとして時折使われています。(詩 1:5; 5:5; 箴 22:29,聖ア; ルカ 1:19)事実,「啓示」の書のその前の章では,「地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人」が,「み座に座っておられる方の顔から,また子羊の憤りから」身を隠そうとする様子が描かれています。『彼らの憤りの大いなる日が来たからです。だれが立ちえるでしょうか』。(啓 6:15-17。ルカ 21:36と比較。)ですから「大群衆」は,その憤りの時に保護され,しかも神と子羊に是認された者として『立つ』ことのできた人々で構成されるようです。

啓示7章9節では第6の封印が解かれた後から、大群衆が神の前で賛美をしている描写があります。特に14節では、「大艱難から出てand子羊の血で衣を白くする」と表現されています。テモテ第一2章4-6節でも「あらゆる人が救われand、真理の正確な知識に至ることが神のご意思」とあります。ギリシャ語では句点などは見当たりませんが一つの段落内の比較的短い文章においてandを意味するkaiが表記されてる場合、時系列のニュアンスを示唆する可能性があります。要は、神の救出が最優先であることが一つの短い文章で強調されています。

詩編 37:9,11,29 「悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが,神を待ち望む者たちは,地を所有する者となる。……柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」。

ミカ書4:1 しかし、終わりの日に、シオンは世界中の山々で最も名を知られるようになり、世界のすべての国々から称賛され、世界中から巡礼が訪れる。2彼らは互いに言う。「さあ、主の山へ行き、イスラエルの神の神殿を見よう。神は、私たちがどうしたらよいか教えてくださる。そうしたら、そのとおりにしよう。」その日には、主がエルサレムから全世界を支配する。エルサレムから主の教えが発せられ、主のことばが告げられる。3主は諸国の間を仲裁し、遠く離れた強国に指令を下す。彼らは剣を鋤に、槍を鎌に打ち直し、国々はもう争うことがない。すべての戦争が終わるからだ。平和が実現し、軍の士官学校や訓練場は閉鎖される。4彼らはみな自分の家で、豊かで落ち着いた生活を営む。恐れるものが何もないからだ。主ご自身がそう約束している。5それゆえ、たとえ回りの国々が偶像を拝んでも、私たちの神、主に従おう。6やがてくるその日に、主は次のようにすると言います。罰せられたご自分の民、すなわち、病弱な者、足の悪い者、貧しい者を連れ戻し、7彼らの地で再び強くし、強力な国とし、主ご自身が永久に王となり、シオンの山から支配すると。8エルサレム、神の民の見張り塔よ。あなたの王権と力は、以前のように回復される。

ゼパニヤ3:19 見よ,わたしはその時,あなたを苦しめるすべての者に対して行動する。わたしは足のなえている者を救い,散らされている者を集め寄せる。そうして彼らを,その辱めを受けたすべての地において賛美また名として立てる。 20 その時,すなわちわたしがあなた方を集め寄せるその時に,わたしはあなた方を連れて来る。あなた方の目の前に捕らわれ人たちを連れ戻す時,わたしはあなた方を,地のすべての民の中で名とし,賛美とするのである」と,エホバは言われた。

ゼカリヤ8:7 「万軍のエホバはこのように言われた。『今わたしは,日の昇る土地から,また日の沈む土地から,わたしの民を救う。 8 そしてわたしは彼らを必ず携えて来る。彼らはエルサレムの中に住むことになる。彼らはわたしの民となるのであり,わたしも真実と義とをもって彼らの神となる』」。

イザヤ2:1 アモツの子イザヤがユダとエルサレムに関して見た事柄。   2 最後の日々に,  エホバの家の山は,  山々の頂より高くしっかりと据えられ,  どの丘よりも高くそびえる。  全ての国の人々が流れのようにそこに向かう。   3 多くの人々が行って,こう言う。  「さあ,エホバの山に登ろう。  ヤコブの神の家に行こう。  神はご自分の道について教えてくださる。  私たちはその道を歩もう」。  律法がシオンから,  エホバの言葉がエルサレムから出る。   4 神は国々の中で裁きを下し,  多くの人々を正しい方向に導く。  彼らは剣をすきに,  やりを鎌に作り替える。  国は国に向かって剣を振り上げず,  彼らはもはや戦いを学ばない。

信者のみが救われるのではない

信者になったもん勝ち、情報強者こそ生き残ると吹聴する現代キリスト教は間違いです。神は宗教背景に関わらず心をご覧になられます。神の道を知らない人たちが、「神の道を知ろう」と述べて信者になります。箴言 2章21,22節は,こう保証しています。「廉直な者たち[神の支配を支持する者たち]が地に住み,とがめのない者たちが地に残されるからである。邪悪な者たち[神の支配を退ける者たち]は地から断ち滅ぼされ,不実な者たちは地から引き抜かれるのである」。またイエスご自身が、マタイ5章5節で「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」と保証されました。

ルカ10章25節から登場する追い剥ぎにあった被害者を無償で金銭援助して助けた親切なサマリヤ人は、異教徒でもあるにも関わらず、神を知るユダヤ人よりも義人とみなされました。キリストを単純に知っただけで善良さを示さない人よりも異教徒でも親切で憐れみ深い人の方が神の目に適っています。ですから、現代においても宗教的背景に関わらず誠実に義を愛する良心的な憐れみ深い人々が大量に救出されて、その直後に神を受け入れ信者になります。

以下のホセア2章を見ると現代の軍拡による全ての戦争が終結する際の描写になっています。しかも興味深いことにその戦争終結つまり千年統治が始まる際に、神の民ではない人々が神を知るようになることが述べられているわけです。つまり信者のみが「知ってから救われる」のではなく、「救われてから知る」ことが明確に預言されています。

ホセア2:18 その時わたしは、もうこれ以上、互いに恐れることがないように、あなたと野獣や鳥や蛇との間に契約を結ぼう。すべての武器を滅ぼすので、戦争はすべて終わる。あなたたちは、何の心配もなく休むことができる。19正義と公平、愛とあわれみの鎖で、永遠にあなたをわたしにつなぎとめる。20真実と愛をもって、あなたと婚約する。その時、以前とは全く違って、ほんとうにわたしがわかるようになる。21-22その日、雨を降らせてほしいという天の叫びに答えて、わたしは雨雲を呼ぼう。すると地は、穀物やぶどうやオリーブの木の求めに応じて、水分と露を供給する。全地から、『神が種をまいてくださる』(イズレエル)という大合唱が起こる。神がすべてを与えるのだ。23わたしはわたしのために彼を地にまき、 あわれまれぬ者をあわれみ、 わたしの民でない者に向かって、 『あなたはわたしの民である』と言い、 彼は『あなたはわたしの神である』と言う」。

使徒 10:34  そこでペテロは口を開いてこう言った。「わたしは,神が不公平な方ではなく,35 どの国民でも,[神]を恐れ,義を行なう人は[神]に受け入れられるのだということがはっきり分かります。

ローマ 2:10 しかし,栄光と誉れと平和が,良い事柄を行なうすべての人に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にもあるのです。11 神に不公平はないからです。12 例えば,律法なしに罪をおかした者は皆,やはり律法なしに滅びます。しかし,律法のもとにあって罪をおかした者はみな律法によって裁かれます。13 律法を聞く者が神のみ前で義なる者なのではなく,律法を行なう者が義なる者と宣せられるからです。14 律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。15 彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです。16 わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます。

マタイ 5:7 「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。

ヤコブ 2:13 憐れみを実践しない人は,憐れみを示されることなく[自分の]裁きを受けるのです。憐れみは裁きに打ち勝って歓喜します。

マタイ 25:31-40, 46,31 「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。32 そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。33 そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう。 34 「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい。35 わたしが飢えると,あなた方は食べる物を与え,わたしが渇くと,飲む物を与えてくれたからです。わたしがよそからの者として来ると,あなた方は温かく迎え,36 裸でいると,衣を与えてくれました。わたしが病気になると,世話をし,獄にいると,わたしのところに来てくれました』。37 その時,義なる者たちはこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げたり,渇いておられるのを[見て]飲む物を差し上げたりしたでしょうか。38 いつわたしたちは,あなたがよそからの人であるのを見て温かく迎えたり,裸なのを[見て]衣を差し上げたりしたでしょうか。39 いつわたしたちは,あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか』。40 すると,王は答えて言うでしょう,『あなた方に真実に言いますが,これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは,それだけわたしに対してしたのです』。 46 そして,これらの者は去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。

大群衆が救われる理由

大群衆が救われて、「その後」子羊の血で贖われると描く啓示の書と上記の聖句箇所を参照すれば、彼らが日頃からクリスチャンたちや立場の低い人たちに親切を示して生きているか、大艱難時に憐れみある接し方ができるか否かが救われるポイントになっています。特に37節からみても、羊に分類される人たちは相手がイエスやその兄弟なるクリスチャンであるか知らずとも親切心を示していますので、彼らは未信者の義人であると読み取れます。日頃から善良に立場の低い人に親切心を示す憐れみ深い人たちは、神によって大艱難時に保護を受けて、その神を知りキリストの贖いを受け入れて信者になります。

そのようにして、「第一の復活」としてのファーストクラスではないものの、神から救出された時点でセカンドクラスとしての地上での永遠の命の保証を大群衆は得ることになるでしょう。彼らは地上の栄光の体を享受することになります。(コリント第一15:40)

子羊が「命の水の泉」に彼らを導くことに関しては,啓示 22章17節に類似した表現があります。そこにはこうあります。「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。聖書の中で,「花嫁」の実体は,天の花婿キリスト・イエスと婚約している,油そそがれたクリスチャン会衆であることが明らかにされています。(エフェ 5:25-27; コリ二 11:2; 啓 19:7-9; 21:9-11)天の「花嫁」級が行なっている,「命の水を価なくして受けなさい」という招待は,不特定多数の人々,つまり「だれでも望む者」に差し伸べられていることは明らかです。同様に,「大群衆」も数が明らかにされていないので,啓示 7章9節の幻は啓示 22章17節の幻と調和します。

ですから,証拠を総合すれば,「大群衆」は天の「花嫁」級,つまり証印を押された14万4,000人ではなく,「大患難」末期に地上の滅びから免れるために啓示19章1節にあるように一時的に天へ引き上げられ、是認された状態で立ち,新エルサレム降下に伴い地上に戻り生き長らえる人々すべてを表わしていることが分かります。

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